
橋の下を流れる日本橋川は江戸時代の重要な水路で、寺門静軒の「江戸繁昌記」には「川狭く、舟夥(おびただ)し」との記述がある。「悪い景観100選」に選ばれた現在の日本橋だが、二連アーチの石橋自体は非常に美しく、1999年に重文指定を受けた。

明治期に入り、江戸が「東京」と名前を変えると、日本橋も大きな変化を迎える。
まずは橋そのものが明治5(1872)年に反りのない西洋風の橋となり、車道と歩道が分けられた。そして明治44(1911)年にはいよいよ現在の日本橋が完成する。それまでとの最大の違いは石橋であることで、四隅の親柱には東京市の市章をつかんだ獅子、中央橋灯には背中合わせで並ぶ麒麟(きりん)がそれぞれ配され、橋の真ん中には東京市道路元標も設けられた(現在は北西橋詰に移転)。また、親柱に掲げられている「日本橋」と「にほんばし」の文字レリーフは、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜の揮毫(きごう)によるものだ。
20代目にあたるというこの石造り二連アーチの橋は、大正12(1923)年の大震災、そして第二次世界大戦の戦火をもなんとか耐え忍んだが、昭和38(1963)年、思わぬ“人災”に見舞われる。そう、頭上を首都高速道路が通ることになったのだ。高速道路を走る車やトラックがかつての日本橋川を行き交っていた舟と同じ役目を果たしているといえないこともないが、いずれにせよ橋そのものからは広重が描いた江戸の名残は完全に消えた。いまは旧京橋区と合わせて中央区に組み入れられている旧日本橋区の街並みも、大空襲とその後の開発、さらにバブル期の再開発を経て、大きく変貌した。

とはいえ、この界隈から「かつての日本橋らしさ」が完全に失われてしまったわけではない。変わらないものもある。それがこの地で暖簾(のれん)を守る、食料品から日用品までさまざまな物を専門に扱う老舗(しにせ)の数々だ。このあたりでは創業100年程度ではまだまだ新参者。1653年創業の越後屋を前身とする三越本店をはじめ、江戸時代から代々続く店も少なくない。
また、現在の日本橋界隈で往時の情緒を味わいたいなら、人形町を訪れるのがいいだろう。この町名は、江戸時代に人形作りの職人や人形を売る店が集中していたことによるが、戦災を免れた場所も多く、比較的古い町並みが残っている。
首都高については、2005年12月に小泉首相の肝いりで「日本橋川に空を取り戻す会」が発足。「高架のまま移設」「地下に設置」の二案に絞って撤去方法を検討していくことになった。ただし、3500億〜5000億円といわれるその費用が最大のネックとなり、実現の目途はたっていない。石原都知事からは「橋そのものを移転させればいい」との発言も飛び出した。果たして日本橋に再び空が甦るのはいつのことになるのだろうか。


御飯付/料理価格2079円(税込、以下同じ)
御赤飯付/料理価格2237円
嘉永3(1850)年、日本橋の魚河岸で創業された日本初の折詰料理専門店「弁松」のお弁当。「本7丸」とは創業時から伝わる呼称の1つで、「本」が定形サイズであること、「7」は大きさ、「丸」は角の丸い折詰を使用していることを表しているという。江戸百人一首にも詠われた名物の「タコの桜煮」をはじめ、醤油と砂糖の絶妙なバランスがとれた煮物、特製のてりを塗った魚の照焼きなど、江戸の庶民が舌つづみを打った味を今に伝える。同店では他に「白詰弁当」[料理価格840円]や大人数向けの折詰料理など、多彩なメニューが販売中。
住所:東京都中央区日本橋本町2-4-12
電話:03-3279-2361
営業時間:7:30〜14:30(火〜金)、7:30〜12:30(土・日・祝)
定休日:月曜日

文:藤田 健児
写真:熊切 大輔
(更新日:2006年06月26日)
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