
現在も江ノ島道はなかなか情緒が残る。左手奥の黒壁の蔵はもともと米屋のもので、最近「蔵まえギャラリー」として新しく生まれ変わった。現在は蔵の内部を見学することもできる。

ところで、江戸時代よりはるか昔、鎌倉〜戦国時代からの歴史を持つ藤沢には、それゆえに数々の伝承が残っている。
なかでも有名なのが、源義経に関する伝承。藤沢宿を西に向かってしばらく歩く。右手の細い路地を入ると本町児童公園があり、その片隅に古い井戸がひっそりとたたずむ。これが「源義経首洗い井戸」と伝えられているものだ。「吾妻鏡」によれば、兄・頼朝の勘気にふれた義経は文治5(1189)年、奥州で自害。その首は腰越に運ばれて実検されたあと、境川に捨てられた。その首が川をさかのぼり、藤沢で拾われ、この井戸で洗い清められたという。「首が川をさかのぼる」というくだりはこの手の話につきもののロジックで、為政者に配慮した庶民の知恵なのだろう。その義経をまつった白旗神社には、江戸期の旅人たちがひきもきらず訪れたのだという。
もうひとつ、遊行寺の本堂右手の細い道を上ったところにある長生院に、近年では市川猿之助のスーパー歌舞伎「オグリ」でも取り上げられた小栗判官(おぐりはんがん)と照手姫(てるてひめ)らの墓がある。ここに残る小栗伝説とは次のようなものである。
足利持氏に謀反の疑いをかけられた常陸小栗の城主・判官満重(みつしげ)の子、助重(すけしげ)は家臣10人とともに三河に逃げる途中、この藤沢で毒殺されかかる。このとき、妓女・照手が助重を逃がしたことで、彼はその後家名を再興することができ、照手は妻に迎えられる。助重の死後、照手はこの長生院で余生を送ったという。
じつはこの伝説には各地にさまざまなバリエーションがあるのだが、いずれにせよ江戸期にはこれをもとにした浄瑠璃や歌舞伎が盛んに上演され、人気を集めていた。江戸期の庶民にとって歌舞伎や浄瑠璃はまさしく基礎教養。真偽のほどはさほど重要ではなく、ヒーローたちの物語を愉(たの)しむふところの深さが彼らにあったわけだ。現代人が映画やドラマのロケ地を見に行くように、大山や江ノ島の参拝の折、義経や小栗判官ゆかりの場所を訪れたのだろう。ちなみに国定忠治の子分、板割の浅太郎の墓も遊行寺境内に立てられている。
さて、明治以降の藤沢は、宿場町から商人の町へと生まれ変わる。いまだそこかしこに土蔵が残っているのはその名残りであるが、関東大震災、そして第二次大戦で甚大な被害に遭ったため、土蔵造りの町並みが復興することはなかった。しかし現在も藤沢は、遊行寺の門前町として、また江ノ島や鎌倉への観光や参詣の拠点として賑わいを見せており、伝承を物語る史跡もたくさん残っている。広重の描いた街並みとは大きく変わったものの、いまだ江戸期と同じ役割を果たし続けているといえるのかもしれない。


1本735円(税込)/3本入り2468円(税込)
湘南地区の名産として古くから知られる黒松の根元に自生する茸「松露」を使った羊羹。松露の丸い形状や茶色の表面を模してその名を冠した甘味は多いが、この「松露羊羹」は国産の松露を実際に練り込んだ風味豊かな逸品。嘉永2(1849)年創業以来、藤沢でのれんを守ってきた老舗・豊島屋本店を代表する銘菓のひとつ。現在は黒羊羹と白羊羹の2種が販売されている。

文:藤田 健児
写真:熊切 大輔
(更新日:2006年7月27日)
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