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ニッポン彩発見 広重 五十三次をゆく

歴史の移ろいに想いを馳せる東海道の旅 第五部 由比 静岡県由比町 −江戸の眺めを今に伝える大パノラマ−

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歌川広重「東海道五拾三次」(保永堂版)より「由井 薩●(さった)嶺」(「東海道広重美術館」蔵)
歌川広重「東海道五拾三次」(保永堂版)より「由井 薩●(さった)嶺」(「東海道広重美術館」蔵)※「●」は「土ヘンに垂」
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地図
さった峠の展望台付近から見た風景。海岸線を国道1号や東名高速、JRが走るものの、広重が描いた当時とほぼ同じ絶景が楽しめる。さった峠の正式名は「磐城山」だったが、前面の海で地蔵さったの仏像が漁師の網にかかったことから「さった山」と呼ばれるようになったという。由比町のホームページでは展望台からのライブ映像を配信している。

宿場データ

由比

江戸から38里半(約154キロ、16番目の宿場として慶長6(1601)年開設。街並みは5町半(約600メートル)、戸数は160軒と宿場としては小さく、伝馬役を果たすために北田、町屋原、今宿の3カ村を加宿としたが、それでも困難だったため、両隣の蒲原、興津がその不足分を補ったという。由井正雪の出身地として知られるほか、明治期以降は桜エビの産地としても有名。

●宿内人別 713人(男356人、女351人=なお、残された資料から、男女合計数は合わない)

●宿内惣家数 160軒(本陣1、脇本陣1、旅籠32)

[宿内人別・宿内惣家数は天保14(1843)年の東海道宿村大概帳より引用]

東海道三大難所のひとつ、さった越え

歌川広重描くところの「東海道五拾三次」全55枚(保永堂版)のなかで、もっとも美しい景色はどれか。それぞれ意見は分かれるだろうが、「由井 薩●(さった)嶺」をあげる人は少なくないはずだ。多くの宿場が近代化とともにその姿を大きく変えていくなかで、この由比(1889年の町制施行で表記は「由比」に統一)は広重の時代の景色とほとんど変わらない眺望をいまでも楽しめる、数少ない場所でもある。

蒲原方面から県道396号を西へ。東名高速をくぐると道は二手に分かれ、左に行くのが旧東海道。神沢(かんざわ)川を渡ると道幅が狭くなり、しばらく行くと道が枡形(ますがた)に折れ曲がる。これは旅人を調べたり、通行を規制したりするための工夫で、ここが由比宿の入口となる。

江戸から38里半(約154キロ)、現在は桜エビの産地として有名な由比が、16番目の宿場に制定されたのは、東海道の整備が始まった慶長6(1601)年。本陣と脇本陣が各1軒、旅籠32軒という小さな宿場であったが、その名は当時からよく知られていたという。その理由の第一は、江戸時代初期に倒幕を企てた「慶安事件」(1651年)の首謀者、由井正雪の出身地であったこと。もうひとつは、箱根、鈴鹿と並ぶ東海道の難所、さった峠を抱えていたことである。広重の絵はまさしくこの峠から望む富士山を描いたもので、蜀山人・大田南畝も「山の神さった峠の風景は 三行半にかきも尽くさじ」とさった峠のことを詠っている。

南北朝時代には足利尊氏・直義の兄弟が争った合戦の舞台にもなったさった峠を越えるルートには、上道、中道、下道の三本があった。いちばん古いのはがけ下の波打際を行く下道で、万葉歌人・山部赤人の「田子の浦ゆ 打ち出てみれば 真白にそ 不尽(ふじ)の高嶺に 雪はふりける」という歌は、ここから見える富士山に感嘆して詠んだとする説もあるらしい。

ただ、この道はつねに荒波が押し寄せ、波にさらわれる旅人も少なくなかった。ここを通るときは、親は子を、子は親をかまっている暇もなかったことから「親知らず子知らず」と呼ばれるほど危険だったので、明暦元(1655)年に来朝した朝鮮通信使を通すために幕府は山腹を切り開いて新しい道をつくった。これが中道である。広重の絵で、旅人が手をかざして富士山を眺めている道がそれだ。残る上道は山の裏側を通るルートで、天和2(1682)年、やはり朝鮮使節来朝の際に開かれたという。

※「●」は「土ヘンに垂」

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宿場の中心に位置し、大名や幕府役人など高位の人間が宿泊した本陣の跡地は、現在は本陣公園として整備されている。堂々たる表門と木塀、石垣、物見やぐらなどが復元されているほか、園内には広重美術館や休憩所としても利用できる東海道由比宿交流館を併設。
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正雪紺屋。由井正雪はここで代々染物屋を営む家に生まれ、江戸で軍学者となったが、自刃直前、ある物を同志に託し、それは当家の屋敷裏に埋められた。明治期に掘り出そうとすると手をかけた者が発熱したため、ほこらを建て、以来屋号を「正雪紺屋」としたそうだ。
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さった峠に建つ道標越しに駿河湾を望む。道標には「さつたぢぞうみち」とあるが、これは峠名の由来となった地蔵が上道の地蔵堂に安置してあることから。ここまでくれば展望台まではあと一息。
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