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ニッポン彩発見 広重 五十三次をゆく

歴史の移ろいに想いを馳せる東海道の旅 第九部 赤坂 愛知県(宝飯郡)音羽町赤坂 −街道旅の情緒を今に伝える江戸初期創業の旅籠−

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歌川広重「東海道五拾三次」(保永堂版)より「嶋田 大井川駿岸(すんがん)」(「東海道広重美術館」蔵)
歌川広重「東海道五拾三次」(保永堂版)より「赤阪旅舎招婦ノ図」(「東海道広重美術館」蔵)
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慶安2(1649)年創業の旅籠、大橋屋。現在も営業中で、2階建ての建物の東海道に面した部分は正徳5(1715)年ごろの建立。赤坂宿のなかでも大店だった。中庭には広重の絵に見られるような石灯籠と蘇鉄(現在は近くの浄泉寺に移植)があったことなどから、広重の絵のモデルになったといわれている。かつては「伊右ェ門 鯉屋」という屋号で、松尾芭蕉が宿泊したほか、明治天皇も休憩されたそうだ。

宿場データ

赤坂

慶長6(1601)年、徳川家康による東海道の伝馬制施行と同時に、江戸から36番目の宿場に制定された。東海道の宿場間のなかでもっとも短く、幕府が与えた伝馬朱印状には「赤坂・五位」と併記されており、当初はひとつの宿場として扱われていたようだ。宿内に陣屋(代官所)を抱え、御油、吉田と並ぶ遊興地としても知られていたことから、当時は多くの人々で賑わったという。

宿内人別 1304人(男578人、女726人)

宿内惣家数 349軒(本陣3、脇本陣1 、旅籠62)

[宿内人別・宿内惣家数は天保14(1843)年の東海道宿村大概帳より引用]

広重も活写した遊興の宿

江戸から数えて35番目の宿場である御油(ごゆ)から、国道1号と並行して走る旧東海道を西へ。しばらく行くと、街道の両側に生い茂るクロマツ並木が見えてくる。東海道随一といわれる「御油の松並木」である。その数、およそ300本。樹齢300年以上のものもあり、国の天然記念物に指定されている。

そのなかを600メートルほど歩き、松並木が途切れれば、そこが赤坂宿だ。御油宿との距離はわずか16町(約1.7キロメートル)。

夏の月 御油からいでゝ 赤坂や

松尾芭蕉は夏の夜と両宿間の短さを重ね合わせて詠んでいる。 赤坂宿は、享保18(1733)年の記録によれば総家数400という小さな宿場だった。しかし、そのうちの83軒が旅籠だったほど、賑(にぎ)わいを見せた宿場でもあった。

その理由の第一は、陣屋(代官所)があったことだ。赤坂陣屋は三河国の天領支配の拠点であり、それゆえ旅人だけでなく多くの人々がやってくる。そして、人が集まれば遊興のための場所ができる。それが、赤坂宿が大変な賑わいを見せたもうひとつの、そして最大の理由だったといっていい。

赤坂宿の旅籠は、多くが飯盛女を抱えていた。飯盛女とは、呼んで字の如く客の食事などを給仕するのが本来の役目だが、公認の遊郭がない場所では遊女の代わりを務めることも少なくなかった。

飯盛女は各旅籠に2人という取り決めがあった。とはいえ、実際には倍以上の人数がいたらしい。天保14(1843)年の記録によると、赤坂宿内の住民は男578人に対して女が726人。この数字からも、赤坂宿の繁栄は飯盛女によるところが大だったことがうかがえる。

当時の赤坂宿の賑わいぶりは、「東海道名所記」やケンペルの「江戸参府紀行」などさまざまな記録に残っているが、以下の里謡(りよう)を紹介しておけば充分だろう。

御油や赤坂吉田がなくば 何のよしみで江戸通い

御油や赤坂吉田がなけりゃ 親の勘当うけやせぬ

歌川広重が保永堂版「東海道五拾三次」で取り上げたのも、そうした光景だった。「赤阪 旅舎招婦ノ図」と題されたその絵は、当時の旅籠内部の様子を描いた。左には片肌ぬいで縁側を歩く風呂上りの男。部屋ではおそらく入浴をすませた男が寝転んで煙草を吸い、下女が夕餉(ゆうげ)の膳を運んでいる。右手の部屋で化粧をし、身支度を整えているのが招婦、すなわち飯盛女である。中央に描きこまれた中庭の蘇鉄(そてつ)と石灯籠も、この絵に独特の風趣を添えている。

赤坂宿には、この絵の雰囲気を伝える旅籠が当時とほとんど変わらぬ姿でいまも営業を続けている。それが「大橋屋」である。

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御油宿と赤坂宿を結ぶ「御油の松並木」は国の天然記念物にも指定されている。
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「夏の月 御油からいでゝ 赤坂や」という芭蕉の句碑が立っている関川神社。本殿を抱きかかえるように聳え立つクスノキは推定樹齢800年、町指定の天然記念物だ。
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宿場の中ほど、「紅里」という往時を偲ばせる地名がついた交差点角にある尾崎屋。連子格子の建物には「曲物製造卸売問屋」との看板がかかり、創業は明治元年だという。曲げわっぱと呼ばれる木製の弁当箱が有名。
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