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ニッポン彩発見 沖縄の風に吹かれて

Vol.03 岸朝子さんが語る、郷土・沖縄の話 チャンプルー食文化

沖縄の食文化や料理の特徴についてご紹介する前に、まずは歴史を少しお話ししましょう。

14世紀、沖縄は南部、中部、北部の「三山(さんざん)」に分断されていましたが、1429年、南部から出た尚巴志(しょう・はし)がこれを統一。琉球王国が誕生し、以降、日本政府の明け渡し要求に従った1879年まで、小さいながらも独立国として存続しました。

ちなみに、琉球王朝最後の王である尚泰(しょう・たい)候の孫、尚明(しょう・あきら)に嫁いだのが、わたくしの3歳年上の姉、道子でした。

話がそれましたが、15世紀ごろの琉球王朝時代は「大交易時代」とも呼ばれ、朝鮮、タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシアなど、いまの東南アジア諸国とさかんに交易をしていました。

中国、日本からも政治的、文化的に大きな影響を受けており、こうした諸外国の多彩な文化をたくみに採り入れつつ、独自の発展を遂げてきたのが沖縄なのです。

料理にしても、中国からの使者をもてなすために福建省へ料理人を派遣したり、島津藩の支配が始まると、日本の役人を接待するために鹿児島へ料理人を派遣したりして、それぞれの料理を学ばせました。

インドネシアからは、ゴーヤーチャンプルーでおなじみのチャンプルー料理も伝わりました。この「チャンプルー」、語源はインドネシア語の「チャンポラ」で、「混ぜ合わせる」という意味です。

沖縄の食文化は、まさに「チャンプルー食文化」。昔から風土に合わせて伝えられてきた郷土料理に、いろいろな国の料理が融合して成り立ったものなのです。

琉球王国歴代の王が住まい、王府としても用いられていた首里城。中国や日本からの使者をこの場でもてなしていた。戦時中、1945年に全焼。現在の首里城は復元された城。沖縄サミットが開かれた2000年の12月には、首里城跡をはじめとした、「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」が日本で11番目の世界遺産に登録されていた。

写真:嘉納 辰彦
(更新日:2006年07月20日)

プロフィール

岸 朝子(きし・あさこ)

大正12年東京生まれ。 女子栄養学園(現・女子栄養大学)卒。32歳で料理記者としてスタートし、「栄養と料理」編集長を経て、料理専門の編集企画会社「エディターズ」設立。93年より「料理の鉄人」(CX系)の審査員を務め、その批評振りと同時に、誉め言葉「おいしゅうございます」が評判に。

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