明治末期から大正初期、山形では黄玉とナポレオンが人気品種でした。しかし、これらの収穫時期は梅雨と重なるため、雨による実割れに悩まされました。また、「黄玉は甘いが、柔らかくて傷みが早い」「ナポレオンは固くて日持ちするが、酸が強い」と、それぞれの品種には魅力と欠点がありました。
「何とかして、黄玉のように甘く、ナポレオンのように実が固いさくらんぼを作れないか? それに、収穫が梅雨と重ならないように、早く実るさくらんぼを…」
東根で生まれ育ち、当時果樹園を経営していた佐藤栄助氏はそう考えたのでした。

ナポレオンを母に黄玉を父に選び、両品種の欠点を補い、魅力を引き出す佐藤氏の道のりが始まりました。その後、佐藤錦を生み出すまでに、何と16年もの歳月を費やすことになります。
| 魅力 | 欠点 | |
|---|---|---|
| ナポレオン | 果実が固くて輸送にむく。 実が大きく、色も鮮やか。 |
実りが遅くて梅雨にぶつかる、 雨に濡れて実が割れる。 また、酸味が強い。 |
| 黄玉 | 実りが早く、梅雨にぶつからない。 甘く食味が良い。 |
果肉がやわらかくて保存が難しい。 |
ナポレオンのつぼみからおしべを取り除き、黄玉のおしべで受粉させ、古雑誌の紙を張り合わせた袋で覆う。こうして実ったさくらんぼから、タネを取り出してまく。芽を出したのは500個のタネから、わずか10本にも満たなかったそうです。
このようにして50本ほどの苗をつくり、その中から20本を選び大切に育てたのです。苗はすくすくと成長し、大正11年に初めてさくらんぼを実らせました。さらに、大正13年に5本に絞り込み、ついに最も優れた1本に絞込みました。


その実は、粒が大きくて味は黄玉のように甘く、ナポレオンのように固く締まっていました。その上、収穫時期も従来のナポレオンに比べて1週間近くも早くなりました。
このさくらんぼこそが、佐藤錦の源流です。

栄助翁の友人で果樹の苗木生産を手がけていた、中島天香園の岡田東作(おかだ・とうさく)氏が、昭和3年、このさくらんぼに「佐藤錦」と名付けて普及に乗り出しました。
佐藤錦の苗木作りは困難を極め、本格的に販売ができるようになったのは、昭和14年でした。
命名から11年。佐藤錦は全国の農家に広まることが可能になりました。
佐藤氏は、この画期的なさくらんぼを、新品種として登録するようすすめられましたが、皆が自由に栽培できるようにと、登録をしませんでした。
こうした「生みの親」と「育ての親」の志と努力で、佐藤錦は全国の農家へと広がりました。
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