日本人にとって特別な秋の食材といえば、マツタケです。
丹波、篠山、三田(さんだ)は古くからマツタケの名産地ですが、昭和30年代までは大量に採れたマツタケは、今や見る影もありません。


古より、丹波市、篠山市、三田市は、豊かな土地として知られてきました。地味豊かな土壌、きれいな水、盆地ならではの大きな寒暖差と霧、そして、豊かさの源である里山を守り続けた人々。自然と人間の絶え間ない営みが、天下の美味・マツタケを生むのです。


マツタケの仲間は世界中に分布しています。朝鮮半島はもちろん、中国・アメリカ・カナダ・メキシコ・モロッコなど、ある意味、ありふれたキノコです。ところが、食用にするのは朝鮮半島と日本だけ。それも、これだけ特別視するのは日本だけです。
歴史的にも、マツタケはさまざまな文献に登場します。日本書記、万葉集をはじめ、名だたる書物にマツタケはしばしば登場します。
旬を愛(め)でる日本人、淡白な調味料を使い素材を生かす日本料理、そうした日本人の食文化にマッチする素材だからなのでしょうか。たしかに、秋を感じると、「そろそろ、マツタケかな…」と思います。かといって、何度も食べたいものでもないです。比類なき香りは、さしずめアロマテラピー的ともいえます。


マツタケ菌は非常に弱い菌糸です。意外な表現かもしれませんが、大自然が育む山の幸というよりも、日本の里山における人間活動があって、偶然、マツタケ菌が繁栄することが出来たというのが正確かもしれません。
マツタケはアカマツの存在が必須であることはもちろんですが、落ち葉の堆積が少ない、やせた土地が必要です。また、湿り気も必要ですが、乾燥も必要です。
本来、多湿で有機質が多い日本の山ですが、里山については、人が落ち葉や枝を肥料や燃料用に集め、木々の成長のために間伐をし、マツ枯れ病が蔓延(まんえん)しないように、枯れた松を排除してきたことが、偶然、マツタケの繁栄を招いたのではないのでしょうか。つまり、マツタケは里山の人間活動なしには、繁栄しないということが推測されます。
マツタケの国内生産量のピークは、1941(昭和16)年の1万2222トンと記録にあります。昭和30年代は3500トン前後、昭和40年代は1千トン前後、2年前の記録が149トンです(ちなみに輸入は2314トン)。最近の生シイタケの生産量が年間6万5千トン前後ですから、ピークのころは、今のシイタケの約5分の1の収穫量があったわけです。昭和16年は太平洋戦争勃発の年です。恐らく、そのころが最もマツタケにとって好ましい環境と、同時に収穫の人手もあったということだと思います。
その後、マツタケが急減した大きな理由は、なんと言っても、マツタケの発生に欠かせない、アカマツの激減です。戦争中の強制伐採、戦後の山村復興のための伐採、その後もパルプ用の伐採、さらに、ゴルフ場開発や住宅開発のために伐採され続けました。
残されたアカマツの里山も、木炭生産の激減、肥料がまきや芝から化学肥料に転換されたことにより、手入れがされなくなり、マツタケが好む環境は失われました。さらに、手入れがされないアカマツ林には松くい虫が広がり、昨今は、里山までおりてくるイノシシ・シカの食害も深刻です。
また、地球温暖化の影響で、マツタケの好む場所が、北または標高が高度になってきていることも事実です。10年前にはほとんど聞かなかった、北海道産のマツタケも、今ではかなりの生産量です。こんなところにも、地球温暖化の影響が出ているようです。
昭和30年代までは、毎日の子供の弁当に入るほど採れていたマツタケ。今では100グラムが1万円も珍しくないほどの高値で、幻状態です。

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