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1万円札1万枚で1億円。それらを縦に積むと約1メートル、重さ約10キロになる。同じ枚数のお札用紙で作られた模擬札を持ちあげてみるコーナーが東京都北区の国立印刷局滝野川工場の見学コースにある。
「意外に軽いわ」「ずっしり」と感想は人それぞれ。お金をかけぬ「大人の社会科見学」を楽しむ人たちと一緒にインキのにおい漂う工場内を見学しながら、暮らしの中でのお札の「重み」を考えた。
蛍光灯が皓々(こうこう)と照らす下に何台もの巨大な印刷機が鎮座し、20枚1シート単位で福沢諭吉肖像画の現在の1万円札を次々に刷り出していく。遠目に見ると超大判の切手シートのよう。それをお札1枚ずつに切り分け、検品後、帯封をかけてお札の束に。それらが台車にどんと積まれた。
あれで何億円分ですか?
「私たちは、ここに何円がある、とは思わないんですよ。何枚あるか、ですね」と同工場総務課で見学者を案内する男性。お金ではなく「お品(しな)」と呼ぶという。印刷風景の撮影は認められなかった。
日本の紙幣は正式には「日本銀行券」。もとは大蔵省(現財務省)印刷局だった国立印刷局が刷って、中央銀行である日銀に納める。日銀から市中の銀行に払い出されて「お金」として動き始める。
1万円札の発行構想は1953年に表面化した。円より小さい「銭(せん)」通貨が廃止された同年、最高額紙幣は千円だった。多くの物の値段は最高額紙幣が百円だった戦前の35年ごろの200〜300倍に上昇。「千円札では大口決済に不便」との声が企業からも高まり、大蔵省が構想を打ち出した。だが日銀は「インフレを助長する」と慎重。庶民も戸惑い、朝日新聞・声欄には「東京の主婦・松岡久子」さんのこんな投書が載った。
「千円札も大切に使っているのが一般家庭。献立を考えながら店をのぞく主婦たちは方々の店でわずかずつの品を買い整えて少しでも豊かな食卓をと苦心しているのです」



1958(昭和33)年12月1日、新たな最高額紙幣1万円札(縦8.4センチ、横17.4センチ)が発行された。現在の1万円札より縦8ミリ、横1.4センチ大きかった。こげ茶、濃い緑など計15色使用の豪華版で、表に聖徳太子が、裏に中国の伝説上の鳥「鳳凰(ほうおう)」が描かれた。
それまで昭和期の主な最高額紙幣は百円札(30年)→千円札(50年)→5千円札(57年)と移り変わったが、いずれも肖像画は聖徳太子。
高性能複写機による偽造を防ぐため、1万円札は84年、福沢諭吉の肖像画の新紙幣に(2004年から最新の偽造防止技術を使った新券に)。お札を刷る国立印刷局の工場は神奈川県小田原市、静岡市、滋賀県彦根市にもある。硬貨は独立行政法人造幣局が製造。





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