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2009年5月9日朝日新聞夕刊紙面より
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年約200万人が訪れる金閣寺舎利殿=京都市、本社ヘリから、寺脇毅撮影

京都市の金閣寺(鹿苑寺〈ろくおんじ〉)には開門直後から修学旅行生が次々にやってくる。金箔(きんぱく)に覆われた舎利殿(しゃりでん)(金閣)の前で「ここが放火で燃えたことを知っていますか」と尋ねた。

「えー、知らない。どうしてこんな美しい建物に放火したの」(高知からの高2)

「バスの中で聞いたよ。みんなで『変な人がいるんだなぁ』って」(広島・中2)

59年前、この建物を21歳の徒弟僧はどんな思いで見つめていたのだろうか。14歳で金閣寺に入り、いまの修学旅行生の世代をこの寺で過ごして、1950(昭和25)年7月2日未明、火をつけた。

西陣署の調べに対し、彼は一時、こう供述したという。

「美に対する嫉妬(しっと)と、自分の環境が悪いのに金閣という美しいところに来る有閑(ゆうかん)的な人に対する反感からやった」

先月のある日、彼の人生を一日でめぐる旅に出た。

バスでたどり着いたのは京都府舞鶴市近くの半島のどん詰まり。その小さな漁村の寺に彼は生まれた。住職の父が肺結核になり、12歳で叔父宅に移って中学に通う。13歳で父が亡くなり、金閣寺行きが決まっていた彼が母の唯一の頼りとなる。頭もよく体格も大柄だったが、吃音(きつおん)のため閉じこもりがちだったという。

放火事件当日、すぐに母は実家から西陣署に向かう。しかし息子は「母は私に期待ばかりしてずっと冷たかった」と頑として会わなかった。母は翌日、実家に向かう列車から保津川に身を投げた。

息子は事件の年の暮れに懲役7年を言い渡されて服役。恩赦で55年10月に出所した。再建された新生・金閣の落慶法要から20日後である。そして半年たらずで、父と同じ肺結核で26年の生涯を終える。

あのとき

21歳徒弟僧が放火、小説の題材に

1950(昭和25)年7月2日午前3時前、京都市の臨済宗相国寺派鹿苑寺(金閣寺)庭園内の国宝・舎利殿(金閣)から出火し、全焼した。大谷大学1回生だった金閣寺の21歳の徒弟僧が放火容疑で逮捕された。寺の裏の左大文字山で胸を短刀で突いて自殺を図ったが、果たせずにいたところを発見された。この事件は三島由紀夫「金閣寺」、水上勉「五番町夕霧楼」「金閣炎上」など、小説やルポの題材になった。

金閣寺は1397(応永4)年、足利三代将軍義満の山荘として創建が始められ、義満の遺言で禅寺に改められた。

舎利殿は全焼から5年後の1955年に再建。総工費3千万円余は住職らが全国を歩いて集めた浄財と5万人以上からの寄付でまかなわれた。

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