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戊辰(ぼしん)戦争で敗れた彰義隊兵士が眠る東京都荒川区の円通寺(えんつうじ)に、幼子を抱いたお地蔵さまが立つ。
「吉展(よしのぶ)地蔵」と名づけられている。1963(昭和38)年3月31日に、この寺の墓地で絞め殺された男の子を供養するために建立されたものだ。
男の子はその日夕、東京都台東区の公園で遊んでいるところを誘拐され、約2時間半後に殺された村越吉展ちゃん(当時4歳)。その後の報道で親元を知った犯人は「坊やを返す」と電話をかけて身代金50万円を要求。指定の場所から金を奪って逃げ去った。
吉展ちゃんの安否も行方もわからぬまま犯人を逃がして「大失態」と批判された警視庁は、東北なまりの電話の声をテレビ、ラジオで放送し、捜査への協力を求めた。事件は国民的な関心事となった。
「吉展ちゃんを捜して」というチラシをボランティアの「東京母の会連合会」が1万枚配れば、酒屋さん、米屋さん、クリーニング屋さんや電力・ガス会社の人々は配達、集金、検針で各戸を回る際に吉展ちゃんの写真を胸にかけた。この動きは人気歌手にも広がり、ザ・ピーナッツ、フランク永井らが哀愁を帯びた「かえしておくれ今すぐに」という歌を競作するまでに至ったが、捜査は難航した。
迷宮入りの様相が色濃くなっていた65(昭和40)年7月3日、窃盗罪で服役中だった小原保(こはらたもつ)・元死刑囚が犯行を自供し、円通寺の墓の一つに埋められていた吉展ちゃんが遺体で発見された。事件発生から2年3カ月たっていた。




1963年3月31日夕、故小原保・元死刑囚が東京都台東区の公園で遊んでいた吉展ちゃんを「壊れた水鉄砲を直してあげる」と誘って連れ回し、約2キロ離れた荒川区南千住の円通寺の墓地で絞殺。自供から65年7月5日未明、同墓地でほぼ白骨化した遺体が発見された。遺骨は荒川区の南千住回向院(えこういん)に埋葬されたが、そこにも供養のための吉展地蔵尊が建立された。
事件発生を受けて64年、刑法が改正され「身代金目的誘拐罪」が設けられた。最高刑が無期懲役へと厳罰化された。
破傷風の後遺症で足が不自由になるなど元死刑囚の生い立ちは本田靖春「誘拐」(ちくま文庫など)に詳しい。「昭和萬葉集」収録の短歌は「福島誠一」作とされている。






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