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永井荷風(1879〜1959)は、小説「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」の舞台に選んだ「玉の井」をラビラント(迷宮)と表現した。
玉の井とは大正時代以降、売春宿が立ち並んでいた地区。今の東武伊勢崎線・東向島駅の周辺だ。1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で焼失し、その面影はない。小説の中に刻まれた幻の迷宮となった。
駅名が「玉ノ井」から「東向島」に変わるなど名称そのものも街から消えつつある。
戦前からこの地に暮らす成蹊大学名誉教授の高木新太郎さんは、玉の井の名称による街おこしに取り組んでいる。「文化的価値がある名称を大切にしたいからです」と高木さんは話す。
荷風が玉の井へ足しげく通い始めたのは36年3月。二・二六事件の直後のことだった。
荷風に詳しい評論家の川本三郎さんは「軍人嫌いの荷風は、きな臭くなってきた東京の中心を離れ、時代の流れから逃げたかったのではないでしょうか」と話す。「そして絶好の隠れ里を発見したのです」。それが場末の私娼(ししょう)街、玉の井だった。
荷風は小説の中で、主人公に、毎夜のように玉の井に通う理由を「銀座丸ノ内のような首都枢要の市街に対する嫌悪」と吐露させている。「濹東綺譚」は軍靴の足音が響き始めた時代の産物だった。




永井荷風の代表作である小説「濹東綺譚」は、1937(昭和12)年4月16日付の朝日新聞夕刊で連載が始まった。6月15日付まで35回で完結。木村荘八の挿絵とともに好評を博した。
荷風の実体験に基づく小説。現在の東京・東向島にあった私娼(ししょう)街「玉の井」を舞台に、娼婦(しょうふ)お雪と小説家大江匡のふれあいを詩情豊かに描いている。
新聞連載が始まる前年に、青年将校らが首相官邸などを襲撃した「二・二六事件」があり、連載終了の翌月に日中戦争が始まった。作家の安岡章太郎は著書「私の濹東綺譚」で、「わがくにに辛うじて戦前の平和が残されていたギリギリの時期に発表された」と記している。






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