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地球発

2010年4月10日朝日新聞夕刊紙面より
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流血の衝突も起こった拡張予定地跡。記念館などを造る構想もある=立川市、永持写す

東京都立川市はかつては米軍基地の街だった。立川駅北口から派手なバーなどが続き、「夜の女」も多かった。

「冷え切りし深夜の街に東北の訛(なま)り言葉の娘が媚(こ)びを売る」。同市初の女性市議、須田エンさんの短歌だ。市政浄化と反戦平和を掲げて、昭和30年に初当選した。

基地経済で潤う人がいる一方、騒音などが市民を悩ませた。朝鮮戦争当時の昭和27年、航空用ガソリンが井戸に混入し、焼死者まで出た。

エンさんが市議に当選した年、立川駅から北に約2キロの砂川町で米軍基地拡張が始まった。まず地元農民が反対し労働組合の人たちや学生が支援した。エンさんも駆けつけた。警官を伴った測量に反対派が抵抗。砂川は「反基地」を象徴する場所となった。

手を焼いた米国側は、昭和43年、基地拡張計画を中止した(52年日本に返還)。そして昭和47年、基地跡地の一部に自衛隊が移駐してきた。

エンさんの長女、加藤克子さんはこの時に反戦を掲げる「立川自衛隊監視テント村」を仲間とつくった。

軍隊がある限り、殺したり殺されたりする悲劇は続く、私たちはそれを断ち切る道を選んだはずだ――。そういう考えで、基地近くのテントから自衛隊の行動を追った。自衛隊員に「反軍」を呼びかける放送やビラ配りも続けた。

約30年後、イラク復興支援特別措置法が成立し、自衛隊のイラク本土での活動が始まった時、自衛隊官舎にビラを入れたテント村メンバー3人が住居侵入容疑で逮捕された(2008年有罪確定)。

あのとき

測量強行で流血騒動、最後は撤回

1955(昭和30)年5月、米軍立川基地の拡張計画が地元の旧砂川町(現立川市砂川町)に伝えられた。航空機のジェット化による滑走路延長のため。反対住民は基地拡張反対同盟を結成し砂川闘争開始。7月以降の強制測量の動きに何度も抵抗し、56年10月13日の警官隊を伴う測量強行では負傷者が1千人以上に。「流血の砂川」といわれた。政府は測量打ち切りを発表し農民とデモ隊勝利の形に。

地権者23世帯が最後まで買収を拒否し、米軍は68年に基地拡張を撤回。国も69年に閣議で計画中止を決定した。その後米軍は立川基地を全面返還。基地跡はいま国営昭和記念公園(83年開園)や、陸上自衛隊駐屯地も含む広域防災基地となっている。

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