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日本一の杉の大木「縄文杉」は、鹿児島県の離島、屋久島の中心部にある世界遺産の深い森にそびえる。最もポピュラーな荒川登山口から歩いて5時間近くかかるが、年間10万人近くが訪れる。
地上から1.3メートルの幹回り(胸高周囲)16.4メートル、樹高25.3メートルという大きさは、樹齢千年以上の杉だけが「屋久杉」と呼ばれる屋久島でも格別だ。前に立つと、いくつもの幹のこぶが歳月を感じさせる。
発見したのは地元の上屋久町(現屋久島町)の観光課職員だった岩川貞次さん(故人)。1966(昭和41)年5月のことだった。
古老から民話や民謡の聞き取りをしていた岩川さんは、江戸時代に島津藩が直轄した山に「13人が手をつないでも抱えきれない屋久杉がある」という話を耳にした。「観光の目玉になる」と、メジャーを手に探し回った。目指す大木は、当時の登山道から約20メートルの斜面にあった。
長男の貞之さんは当時中学2年生。山から戻った父が、晩酌をしながら「あった」と、うれしそうだったことを覚えている。
屋久島では最高峰の宮之浦岳(1936メートル)などを詣でる岳参(たけまい)りが今も一部でおこなわれている。戦前の40年に調査に訪れた民俗学者宮本常一(1907〜81)は「御嶽(みたけ)の信仰がきわめて盛ん」と記した。山仕事で森に入る人もいて、縄文杉の存在は知られていたと考えられる。
住民で組織する「屋久島を守る会」の活動で岩川さんから話を聞いたことのある民宿経営の長井三郎さんは「木材生産のために大きな木を見ていた時代に、人を呼び寄せる価値を大木に見いだした。新たな価値を『発見』したのです」と語る。
岩川さんは「大岩杉」と名付けた。ゴツゴツとしたこぶが岩のように見えたからだ。だが、地元の南日本新聞が発見翌年の元日に「生き続ける“縄文の春”」とその存在を伝え、その後「縄文杉」の呼び名が定着した。



縄文杉の樹齢は発見当初、幹の太さから3千〜4千年と推測された。76年には九州大学の教授が、樹齢が確定できる切り株の直径と縄文杉の直径の比較などから7200年と推定。その後、林野庁が84年に成長錐(せいちょうすい)という道具で幹の組織を採取、放射性炭素の量を測り、2千年前後と推定されるにいたった。
近くにある直径3.5メートルの大王杉の樹齢は、放射性炭素による測定で3千年前後と推定された。推定樹齢がはっきりしている日本の樹木の中では最古とみられている。長寿の理由を、屋久杉自然館学芸員の松本薫さんは「屋久島の杉は他の杉に比べ、含まれる樹脂が6倍以上だから、防腐効果が大きい」と話す。





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