
日が落ち、すみれ色に沈んだ西の空低く、一番星が輝き出した。南に大きく眺望が開けたペンション「スケッチブック」のウッドデッキから木星を眺めているうちに、あたりは漆黒に包まれていった。
外気で冷えた体を温めるため、貸し切り露天ぶろへ。照明を消して湯船につかる。11月初旬、午後6時を過ぎれば、星がくっきり見える。低い雲が流れ去ると、「夏の大三角」が天頂にかかっていた。備え付けの真空管アンプとスピーカーが再生するのは、持参したCD、チャイコフスキーの「悲愴」第2楽章のワルツだ。
八ケ岳山麓(さんろく)の高原には、本格的に星空を楽しめるペンションがいくつもある。「スケッチブック」は、南麓の清里高原に83年7月開業した。部屋数12室はペンションとしては大きめだ。天文とオーディオの機材が充実しており、天文サークルの合宿も多い。

風呂をあがる頃には曇ってしまったが、午後9時ごろ、ぽっかりと晴れ間ができた。オーナーの中口勝功さん(62)の案内で、いよいよ天体観測だ。若い女性3人連れとともに、敷地内の天体ドームに陣取った。アラスカで買ったフード付きダウンジャケットにタイツと靴下、深靴の重ね履きで防寒は万全だ。
ドームは直径4メートル。口径35センチのニュートン式反射望遠鏡が、地面からの熱の影響を受けないよう、コンクリート製の土台に据えられている。
代表的な秋の星座は雲に隠れたため、西に沈む夏の星座と、東から昇る冬の星座に望遠鏡を向けた。「天空のダイヤモンドです」と見せてくれたのは、こと座の一等星ベガ、七夕の織姫星だ。さらに、宮沢賢治が「サファイアとトパーズ」にたとえた、はくちょう座の青と黄色の二重星アルビレオ。「すばる」として知られるプレアデス星団は、視野いっぱいに星があふれた。順にのぞきこんだ3人が歓声をあげる。本当に華やかで、星たちのレビューみたいだ。


「あっ、ホームズ彗星が見えますよ」。中口さんの声に振り向くと、肉眼ではっきり見えた。貸し出し用の双眼鏡の中に、ぼんやりとした繭にくるまれたような、円い光の塊が浮かんだ。10月23日に約17等級の明るさだったホームズ彗星は大アウトバーストを起こし、翌日には約40万倍の約3等級の明るさとなり、話題になっていた。
肉眼では一、二個の星しか見えなくても、双眼鏡を向けると星があふれる。3人組も「これで見ると、たくさん、おる」と騒いでいる。
空が雲に覆われ、天体観測はひとまずお開き。条件が許せば午前0時ごろまで2〜3時間観測することが多いという。客が多い夏場は2度に分けるが、2度目の回は曇ってしまうこともある。文字通り、運を天に任せるしかない。
雲が速く動いていたので、フジ子・ヘミングのピアノ曲のCDを聴きながら、もう少し粘ることにした。
オーディオメーカーに勤めていたことのある中口さんは、天体ドーム内にもアンプとスピーカーを備え付けている。地下には、オーディオルームもある。星と山は昔から好きだったが、入社前はオーディオのことはよく知らなかった。入社の面接では「好きなことを仕事にしろ」と言われて、「好きなことは仕事にするものじゃない」と答えたそうだ。「生意気だったんですね。結局、好きなことを仕事にしています。星を見たお客さんに、わーっと言ってもらえるのがうれしいんですよ」と中口さん。
雲の晴れ間に、望遠鏡でペルセウス座の二重星団と、ぎょしゃ座の散開星団トリオを見ることができた。午前0時を回ると、いきなり、空が開けた。天の川にカシオペア座が浸っている。川床には細かい砂のような星たち。煌々(こうこう)と光を放つペガスス座が空を横切り、冬の星座、オリオン座が横倒しになって昇ってきていた。
だが、晴れ間は長くは続かず、望遠鏡をのぞく間もなかった。それでも、1等星の強い光と、たくさんの淡い光が目の奥ににじんだ。真夏や真冬と違う、なんだか優しい星空だと思った。

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