「いや、すいません。今日は4件でした。少し、難しかったんですよ」
インタビュー場所となったハノイのベトナム料理レストラン。約束より1時間ほど遅れ、日本人二人とベトナム人一人が慌ただしく現れた。

河内俊夫さん
1992年三菱商事入社の37歳。東京にて業務部で活動したのち、96年より2年間、ベトナム語学研修生としてハノイに滞在。2002年からは駐在員として赴任、現在三菱商事ハノイ事務所・所長代理として活動中。
トレードマークの口ひげにすまなそうな笑顔を浮かべている大柄な男性が、ベトナムの「赤ひげ先生」こと服部匡志さん(42)。本人はその大げさな呼称を嫌がるが、2002 年、ハノイ国立眼科病院をスタート地点に2007年7月までにベトナムでこなした手術は6千例以上、ベトナムでは治療費を受け取らず、日本でフリーの眼科医として働いた金で活動している思い切りのよさは多くの人の共感と尊敬を集めている。冒頭の「4件」というのは今日の手術の件数。いつもなら日に5〜6件だが、今日は少々難易度が高かったので数も少なく、約束にも遅れてしまったという。現地での相棒・ベトナム人のホン医師、ボランティアとして日本から来た米田一仁医師が今回のチーム編成だ。
「やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいいタイプ」
自己分析する通り、服部さんは行動の人だ。2001年、日本臨床眼科学会で出会ったベトナム人医師から聞いた貧弱な医療事情に心動かされ、行ったこともなかったベトナム行きを決め勤務先の病院を辞し、半年後にはハノイ国立眼科病院で働くため現地の土を踏んでいた。時代遅れの手術機器、労働意欲に乏しいスタッフ、ベトナム語の壁。何もかもが日本と違う環境下、貧しい人の医療費は肩代わりをし、時に現場の医師とぶつかりながらがむしゃらに活動するうち周囲の雰囲気が変わってきた。

「ベトナム人はいったん関係が出来ると、とても親密に付き合える。(相手が)ビジネスなのか、ハートで働いているのか、そこがわかるまで距離がありますが、ハートが通じたらもう大丈夫」
最近は若手の医師たちが育ってきたハノイを出て地方都市にも積極的に出向いている。さらに、タイ、インドネシア、ラオスなど近隣国へも足を伸ばし、「先日はキューバにも行きましたよ。あそこは医療設備がいいですね」とこともなげにいう。そのエネルギーはどこからきているのだろう。
「分からないですね。どこからか、マグマのような物がわいてくる」首をかしげながら、照れたようにいう。「困っている、と言われると、何とかしたくなっちゃうんですよね」。逆に服部さんが活動を通じて教えられることも多い。
「支援する人もされる人も、イコールなんです。彼らは貧しくてもそれなりにハッピーだし、たくましく生きています。こちらに来てから、自分もいろいろ気にしなくなりましたね。節約するようになったから、妻はそれだけは喜んでいるかな」と、笑う。
苦労が多い分、「達成感があって幸せを感じる」と服部さんはあくまで前向きだ。この達成感、幸せを知るだけに、上昇志向の強い日本の医療業界については思うところも多いようだ。「日本の病院や医師の気持ちが、欧米だけでなく、もっとアジアに向くといいのですが」

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