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この日のビートルズ

8月8日甲虫日記 「アビイ・ロード」のジャケ撮影

年をとるにつれ昔の出来事の記憶は薄らいでいく。だけど、あの4人に関する「この日」だけは、忘れてしまいたくはない。20世紀最高のファブ・フォーをこよなく愛する人たちへ。ビートルズの4人にまつわる日付を手がかりに、思いつくまま、気の向くまま、つらつらと記していきます。

写真
アビイ・ロードのジャケット

1969年8月8日、世界で最も有名なレコードアルバムのジャケットが撮影された。ビートルズ最後のレコーディングアルバム「アビイ・ロード」。4人が歩調を合わせて横断歩道を渡る写真だけが全面に使われ、題名も文字もない。

ジャケットには、ビートルズ流の別れのあいさつが、さりげなく込められている。アルバム制作は「これで最後」という暗黙の了解の下で進められていた。約10分間に6カット撮られたなかから5番目のカットが選ばれた。デビューした62年から数々の名曲を生み出してきたスタジオに、4人が背を向けて歩き出しているようにみせる必要があったからだ。

アルバムの終幕を飾るメドレー最後の曲は「ジ・エンド」。突然の出来事のように思われたバンドの解散も、後になってみれば実に手順を踏んだ律義な儀式だった。

解散の理由はいろいろと語られている。私見をいえば、皮肉にもレコーディング技術の進化が4人の人間関係に亀裂をもたらした。その傾向は、ちょうど1年前に2枚組アルバムの通称「ホワイト・アルバム」を制作していたころから頻繁に現れる。

デビューしたころは録音マイクの前で4人全員の「一発録り」が通常だった。だが、多重録音の技術が進むと4人がそろってスタジオに入る必要はなくなった。

68年6月11日、ジョンがアバンギャルドな「レボリューション9」に苦闘しているのを尻目に、ポールは別のスタジオで「ブラックバード」を1人で完成させた。「イエスタディ」や「エリナー・リグビー」などストリングスを挿入した曲以外でメンバーが単独で曲を完成させることは、それまではなかった。

ジョージが8月17日から5日間の短いギリシャ旅行にでかけると、ポールは1人で「マザー・ネイチャーズ・サン」と「ワイルド・ハニー・パイ」も完成させる。リンゴは、自分が知らぬ間にドラムのパートをポールが代わりに演奏して録音していることに強いショックを受けた。4人がそろった8月22日、「バック・イン・ザ・USSR」のレコーディング中にその不満は爆発し、リンゴは一時バンドを脱退する。

さらにポールは、他のメンバーをバックバンドのように演奏方法まで指示する態度をとり、メンバーとの溝を深くした。映画「レット・イット・ビー」に出てくるジョージとのやりとりの場面がその象徴だ。いわゆる「1対3」の状況は、4人がライブ活動をやめてスタジオにこもるようになってからの変化だ。

しかし、そもそも男4人が10年近くも一緒に仕事をしていること事態は奇跡といっていい。子どもの頃は「なぜ解散したのか」と疑問に思っていたが、社会人になってからは、自然とそうは思わなくなった。

最後のアルバムジャケットの撮影は、午前11時35分から行われた。ジョンの友人イアン・マクミランは、スタジオ前にあるアビイ・ロード(通り)の真ん中に脚立を立て、スタジオの門のすぐ外にある横断歩道を4人が往来するところを撮影した。アルバム発売以来、世界中から集まるファンが横断歩道を渡り、写真を撮っている。ただし、撮影が無事済んだことの裏には、その場にいた警官の好意があったという事実を忘れないほうがいい。

有名な「ポール死亡説」の根拠になったジャケットでもある。彼の葬式の列を描いているというわけで、3人とは異なり右足を前に踏み出しているポールが死体で、他のメンバーはその服装からジョンは司祭、リンゴが葬儀屋、ジョージが墓掘り人だとされる。さらにポールは素足であり、一部の社会では遺体を埋葬する際のしきたりであることや、左利きのポールが目をつぶって右手にたばこを持っているのも不自然だとされた。

またジョージの後ろに写るフォルクスワーゲンのナンバープレート「LMV281F」は「28IF」とも読め、もしポールが生きていたら28歳だという意味に解釈された。しかし、彼はアルバム発売当時まだ27歳であり、撮影された6カットのうち最初の2カットではサンダルを履いていた。

解散は秘密にされていたが、ポール死亡説の話題もあって、レコードは売れに売れた。英国では1969年9月26日にリリース。1週間でアルバムチャートの1位になり18週連続首位を独走。米国でも連続11週首位を守った。全世界の売り上げ推定枚数は、この年だけで500万枚とされる。

例のフォルクスワーゲンは、86年にザザビーのオークションにかけられ2300ポンドで競り落とされた。死んだことにされたポールは、93年11月に発売したアルバムジャケットに再びアビイ・ロードの横断歩道を渡るパロディ写真を採用した。撮影者は同じイアン・マクミラン。タイトルは「Paul is Live」。

「この日のビートルズ」の次回は、8月18日です(更新は8月17日夜)。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。

お知らせ

『アビイ・ロード』

  • 1998.3.11発売 EMIミュージックジャパン

収録曲

  1. カム・トゥゲザー
  2. サムシング
  3. マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー
  4. オー! ダーリン
  5. オクトパス・ガーデン
  6. アイ・ウォント・ユー
  7. ヒア・カムズ・ザ・サン
  8. ビコーズ
  9. ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー
  10. サン・キング
  11. ミーン・ミスター・マスタード
  12. ポリシーン・パン
  13. シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー
  14. ゴールデン・スランバー
  15. キャリー・ザット・ウェイト
  16. ジ・エンド
  17. ハー・マジェスティ

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Profile

上林 格(かみばやし・さとる)

1962年生まれ。この年、ビートルズが「LOVE・ME・DO」で英国デビューした。1986年、朝日新聞社に入社。東京本社社会部、地域報道部、東京総局など勤務。東京版で「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」を連載した。

(更新日:2007年08月08日)

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