年をとるにつれ昔の出来事の記憶は薄らいでいく。だけど、あの4人に関する「この日」だけは、忘れてしまいたくはない。20世紀最高のファブ・フォーをこよなく愛する人たちへ。ビートルズの4人にまつわる日付を手がかりに、思いつくまま、気の向くまま、つらつらと記していきます。

「サージェント・ペパー」のアルバム・ジャケットには、ポールとジョージがMBE勲章を胸につけて写っている。MBE(メンバー・オブ・ジ・オーダー・オブ・ザ・ブリティッシュ・エンパイア)勲章は、英国の受勲者名簿に記載された人物に毎年贈呈される栄誉賞だ。ビートルズは1965年10月26日、バッキングガム宮殿の大謁見室でエリザベス女王に勲章を授与された。
ロールスロイスで宮殿に到着した4人は、黒いスーツとネクタイ姿で並び、女王が勲章を細い襟にとめていった。
「みなさんはどのくらいもう一緒にやっているのかしら」と女王は聞いた。
「もうずいぶんと長い間ですよ」とポール。リンゴは「40年間です」と答え、みんな笑った。
その年の授与者は計182人。宮殿の外には約4000人の若者が集まり、スクラムを組んで押さえつけようとする警官ともみ合い、「女王陛下万歳、ビートルズ万歳」を繰り返した。中には宮殿のさくや街路灯によじ登ったものもいた。
ジョージ4世が1917年に制定したMBE勲章は、市民に授与される5階級のうち最下級の勲章で、それほど権威があるものではなかった。しかし、ロック・グループのメンバーが勲章を授かることは前代未聞の出来事だった。
6月12日にビートルズへの授与が発表されると、不満を抱いたかつての受勲者たちからの抗議の返納が続いた。その数、863人という。ある前カナダ下院議員は「英国王室は、私を卑しい間抜けどもと同列においた」と述べた。12個もの勲章を返納した大佐もいた。作家のリチャード・ペイプは「英国は世界各国から嘲笑され、軽蔑される」と書いた。
一方、賛意を示す書簡も女王に届いた。オーストラリア高等弁務官を退任した陸軍中将のウィリアム・オリバー卿は「ビートルズはMBE勲章に値する」と述べた。
ジョンは腹を立てた。不平をいう多くは戦争の英雄行為で勲章を受けた人たちだとして、「彼らは人を殺して勲章をもらったわけだけど、ぼくたちは人を殺さずにもらった」と批判した。
そもそも受勲にあたってジョンには葛藤があった。「OHMS(公用)」という封筒が届いた時、徴兵令状を受けたような気がした。内容が分かったとき、勲章を受け取るのは偽善的な行為だと直感し、断ろうと思ったという。その封筒をファン・レターと一緒に片づけてしまってもいる。
ジョンは自分の気持ちをブライアン・エプスタインに伝えると、ブライアンは「勲章をもらう権利書のようなものだから探すように」と必死に説得した。ジョンも拒絶すれば、ビートルズに計り知れない打撃が与えられることは十分に理解していた。
叙勲の名簿を作成したのは、ビートルズと同じリバプール出身のハロルド・ウィルソン首相だった。「ニュー・ブリテン」を唱えたウィルソンは、64年10月の選挙で13年間続いた保守党政権に勝利して首相になった。ビートルズへの叙勲を推薦したのは、外貨獲得の功績のほかに、若者受けを狙った戦略であることをジョンは鋭くかぎ取っていた。
ジョンは授与された勲章の扱いについて「家で一番小さい部屋にしまっておくよ。ぼくの書斎にね」と話した。実際は、育ての親である叔母のミミにあげた。ミミは自宅の暖炉の上に飾っておいた。
1969年11月25日、ジョンはMBE勲章を女王に返還した。自分の主張を世間に知らせたかったためだ。
ジョンは勲章を茶色の紙に包み、宮殿の女王あてに返納した。ナイジェリアとビアフラの紛争に英国が介入したことに抗議し、ベトナム問題で米国を支持したことを抗議し、「コールド・ターキー」をチャートから排除したことを抗議する、と返納の理由を記したメッセージを添えた。
ひそかに返してもいずれ知られることになる。それならば隠したりしないで大胆に行動しようと決めた。平和のためのイベントにしようと考えたという。「ヨーコと一緒に英国政府に抗議したいだけだ。できるだけ効果的な方法で」
その数カ月前、ジョンは運転手に叔母の家から勲章を取ってくるように頼んだ。ジョンの目的を知らされていなかったミミは返納を知って激怒し、ジョンに女王を侮辱したことになると責めた。ジョンは「叔母さんにはすまないと思っているけど、どうしようもなかった」と話している。
フランスの雑誌「レクスプレス」は70年3月、ジョンとのインタビュー記事を掲載。そのなかでジョンはビートルズがバッキンガム宮殿の手洗いでマリフアナを吸ったことを認めた。しかし、このことはジョンが時折見せる独特のユーモアとしてみられている。ビートルズ・アンソロジーで、ジョージは「たばこを吸った」と否定した。リンゴは「はっきり覚えていない」と煙に巻いた。
ブライアンのアシスタントだった”何でも屋”のアリステア・テイラーは、アンソロジーが発刊された後に出版した著書のなかでジョンの話を肯定している。
4人はトイレでマリフアナを吸った後、女王に謁見するころはクスクスと笑いが止まらず、飛んでる状態寸前だったという。ジョンは、女王のティーカップにLSDの錠剤を落とす計画もあったことを告白した、という。ただ「ジョンの場合、本気なのかどうか区別がつかない」ともある。アリステアは結論として、国が行う式典はすべて偽善だと嫌悪していたジョンが、授与式を乗り切るためにドラッグの助けを必要とした、と書いている。
「この日のビートルズ」の次回は、11月4日です(更新は11月2日)。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。


上林 格(かみばやし・さとる)
1962年生まれ。この年、ビートルズが「LOVE・ME・DO」で英国デビューした。1986年、朝日新聞社に入社。東京本社社会部、地域報道部、東京総局など勤務。東京版で「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」を連載した。

(更新日:2007年10月26日)
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