年をとるにつれ昔の出来事の記憶は薄らいでいく。だけど、あの4人に関する「この日」だけは、忘れてしまいたくはない。20世紀最高のファブ・フォーをこよなく愛する人たちへ。ビートルズの4人にまつわる日付を手がかりに、思いつくまま、気の向くまま、つらつらと記していきます。
ビートルズの活動は、「ライブ時代」と「スタジオ時代」に大別できる。
ライブ活動は、1966年8月29日の米国・サンフランシスコのキャンドル・スティック・パーク公演を最後に終止符が打たれた。帰国後、思い思いの休暇を過ごして気力を充実させた4人は、11月24日、ニュー・アルバム制作のため、再びアビイ・ロード・スタジオに集まる。
締め切りに追われることなく自分たちのペースで仕事をすることが約束されていた。最初に取りかかった曲が、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」。66年秋、ジョンが出演を引き受けた映画「わたしの戦争」の撮影中にスペインのアルメニアで書き上げた。
「ストロベリー・フィールド」はリバプールにあった救世軍運営の孤児院のことだ。ジョンが育ったミミ叔母さんの家の近くにあった。ジョンの子ども時代の記憶をよみがえらせる場所である。
この曲には、テープの逆回転や変速録音などデビュー以来、4人がレコーディングスタジオで学んだありとあらゆるものが集約されている。4人の創造性が開花する「スタジオ時代」の幕開けにふさわしい曲となった。
苦心作でもある。完成までに7回のセッションを重ね、そのたびに曲は姿を変える。「テイク1」と完成版では、ストリング・シンセサイザーの前身の楽器、メロトロンを使った部分だけが共通するだけとされる。
ジョンは録音を始める前、スタジオでジョージ・マーティンの向かい側に座り、アコースティック・ギターを弾きながら歌ってみせた。
「文句なしに素晴らしかった」。そんな風にマーティンが述懐する曲のテイストは、アンソロジー2に収録された「テイク1」で味わうことができる。
ところが、いつもの楽器編成で録音を重ねるうちに曲のテンポが速くなりヘビーになっていったという。
「ジョンは何も言わなかったが、ジョンが当初に思い描いていた出来とは違うことは何となく分かっていた」
ベストとされた「テイク7」もわずか9日間の命。ジョンがマーティンに「もう一度取り直したい」と訴えた。話し合いの結果、マーティンがトランペットとチェロのスコアを書き加えることになる。
4人は新たなリズム・トラックを録音することから始めた。「テイク15」の初めから4分の3と「テイク24」の終わりから4分の1をつなぎ合わせた編集トラックをもとに、リメイク・バージョン「テイク26」がつくられた。
高々と鳴り響くトランペット、異様にヘビィなドラムス、躁(そう)病的でやたらとテンポの速いジョンのボーカル。スコアをつけたリメイク・バージョンは、アコースティックな「テイク1」とは似ても似つかぬ強烈なサウンドになった。
ジョンは再びマーティンに注文を出す。それは、キーもテンポも違う「テイク1」と「テイク26」をつなぎ合わせてひとつの曲にするという無理難題だった。「君ならできる」とも付け加えた。
マーティンとエンジニアのジェフ・エメリックは、2つのテイクを入念に調べ、最初の「テイク7」の速度を上げ、後の「テイク26」の速度を下げればうまくつなげるかもしれないと考えた。速度調整が可能なテープ・レコーダーを使い、つなぎ目のところで両方のピッチが同じになるように試した。
神は幸運をもたらした。12月22日、録音開始から丸1カ月がたとうとしていた。
曲のつなぎ目が知られるようになったのは、CD化された80年代後半からのことだ。曲の頭からちょうど60秒のところにある。
ビートルズ研究家のマーク・ルイソンはこうも忠告する。
「いったんその位置がわかったら、この曲は二度と同じようには聴こえなくなるだろう」
曲づくりもさることながら、ジョンの子ども時代の思い出と重ね合わせて、この叙情詩の世界を探ることも興味深い。何しろジョンはこの曲で「自分自身を表現しようとした」とインタビューに答えているからだ。
歌詞のなかに「No one I think is in my tree」(誰も自分の「樹」にはいない)とある部分は、子どものころから「自分みたいにヒップなやつはどこにもいなかった」「ぼくは狂人か天才のどっちかだった」と「感じていた」ことを指すという。次に歌詞は「I mean it must be high or low」(高すぎるか低すぎるせいだろう)と続く。「きっと自分には何か問題があるからだと思っていた。異常なうぬぼれ屋なんだと思ったね。人に見えないものが見えるんだから」
ジョンは、ストロベリー・フィールドのゴシック的な建物の壮麗さと森の神秘性に魅せらていた。そこは自分が1人きりになれる場所で、自由に想像力の翼をはばたかせことができた。そして自分は周りのみんなと違っている、という自意識のシンボルになっていたのだろうか。
音楽ジャーナリスト、スティーブ・ターナーは、「彼独自の世界観を表現した曲だとするなら、『自分と波長があう人間はひとりもいない、みんな高すぎるか低すぎる』と書かれていた初期の歌詞の方が伝わりやすかったはずだ」と指摘する。歌詞の意味をわざとぼかしたのは、「気取っていると思われるのを嫌ったためだろう」とも。
ニューヨークのセントラル・パークにあるジョンの慰霊碑は、ジョンの最高傑作に敬意を表して「Strawberry Fields」と呼ばれている。
「この日のビートルズ」の次回の更新は、12月11日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。


本文中に登場するアルバム

上林 格(かみばやし・さとる)
1962年生まれ。この年、ビートルズが「LOVE・ME・DO」で英国デビューした。1986年、朝日新聞社に入社。東京本社社会部、地域報道部、東京総局など勤務。東京版で「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」を連載した。

(更新日:2007年11月22日)
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