年をとるにつれ昔の出来事の記憶は薄らいでいく。だけど、あの4人に関する「この日」だけは、忘れてしまいたくはない。20世紀最高のファブ・フォーをこよなく愛する人たちへ。ビートルズの4人にまつわる日付を手がかりに、思いつくまま、気の向くまま、つらつらと記していきます。
ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが、初のベスト・アルバムを発表した。
ジョン・レノンがプロデュースした未発表曲「トゥー・メニー・クックス」を収録。ミックによれば、73年にロサンゼルスの空いたスタジオでジョンと録音した曲だという。「ぼくが歌って、彼がギターを弾いた」
ビートルズとストーンズ。英国を代表するロック・バンドの成功は、彼らの実力とともに有能なマネジャーの才覚にも支えられている。
ブライアン・エプスタインは、ハンブルクのいかがわしいクラブのステージに立ち、革ジャン姿で演奏していた労働者階級の青年たちをスーツ姿に着替えさせ、健全なイメージで売り出した。
ビートルズの広報代理人の経験があるストーンズのマネジャー、アンドルー・ルーグ・オールダムは、ビートルズと正反対のイメージで売ることがストーンズを成功に導く近道と考えた。優等生が好きな娘もいれば、悪ガキにひかれる女の子もいる。中流階級の若者たちにわざと荒々しく、反抗的なイメージを植え付けた。両者は音楽誌のチャート争いで競っているようにも見られたが、実は、レコード発売日が重ならないようにマネジャー同士で「談合」していた。
メンバー同士も仲が良かった。ジョンとポールが提供した「アイ・ウォナ・ビー・ヨア・マン」は、ストーンズ初の英国ベスト10ヒットになった。ジョージはブライアンにシタールの手ほどきをしている。彼らは、しばしばロンドンの有名なクラブで一緒にグラスを傾け、世間が競争相手と勘違いしていることを笑っていたのだろうか。
ストーンズがビートルズのテレビ映画「マジカル・ミステリー・ツアー」に触発されてミュージック映画「ロックンロール・サーカス」の撮影を思い立った、としても不思議ではない。ミック自身も参加した史上初の衛星生中継番組「アワ・ワールド」の刺激もあった、といわれても納得できる。
「ロックンロール・サーカス」は、BBC・TVのクリスマス特別番組用に収録された映画だった。1968年12月10日からウエンブリーのインタテル・スタジオでリハーサルが始まり、11日から12日早朝にかけて撮影された。
監督はビートルズの3本目であり最後である主演映画「レット・イット・ビー」を手がけたマイケル・リンゼイ・ホッグ。大テントの中に集まった観客が音楽と余興のサーカスを楽しむという筋書きで、観客の頭上で空中ブランコに乗る曲芸師や火食い男、調教された虎などが次々と登場する。
ジョンはこのショーに招待され、一夜限りのスーパー・セッションを披露する。メンバーは、直前に解散したクリームのエリック・クラプトン、ストーンズのキース・リチャード(本名リチャーズに戻す前)、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのドラマー、ミッチ・ミッチェル。
この夜だけのために編成された、豪華な面々。キースはこのセッションに参加するため、わざわざベースギターの担当を買って出たほどだ。ストーンズのベーシスト、ビル・ワイマンに言わせれば「おれを追い出した」ということになる。
バンド名は「ダーティー・マック」。「汚いマッカートニー」とは穏やかではない。
グループとしての一体感が崩れていくきっかけになった、とされるホワイト・アルバムの長い録音セッションを終えたばかり。ジョンは、勝手にいくつかの曲の録音を1人で完了させてしまったポールに腹を立てていたというから、なかなか意味深である。
ところが、このバンド名をめぐってビートルズの解散問題に発展したとか、メンバー同士でもめたとか、いう話はきかない。肝心の映画が、ミックの鶴の一声でお蔵入りになり、96年10月にVHSで発売されるまでの約28年間も公表されずにいたためだろう。
長らく封印された理由は、ストーンズが自分たちの演奏の出来に満足していなかった、という説が有力だ。丸1日かかった撮影の末にトリを務めた彼らの演奏には、体調が万全ではなかったからか、「ノリ」とか「切れ」が感じられなかった。名作「ロック・オペラ・トミー」を発表して勢いに乗る「ザ・フー」の演奏に完全に食われてしまっている。
そのなかで、ダーティー・マックの演奏は別格だった。「ヤー・ブルース」は、離婚問題に悩んでいたジョンがヨーコに助けを求めた陰気な曲だが、初めて映像をみたとき、「こんなに格好良い曲なのか」と感動したくらいだ。クラプトンのギターワークだけが理由ではない。長髪、ジーンズ、スニーカー。ほかの3人を従え、普段着姿で演奏するジョンの姿が新鮮に映った。
もう1曲。イスラエル出身のバイオリニスト、アイブリー・ギトリスを迎えて「ホール・ロッタ・ヨーコ」を演奏する。盛り上がってきたところでオノ・ヨーコが登場。叫びというかボーカルというか、マイクを握ってのパフォーマンスが続く。
ジョンの遺作「ダブル・ファンタジー」は、彼女の歌がジョンの曲と交互に収録されている。その評価をめぐり、ファンの間で「賛否両論」が存在する。少なくとも僕の周りでは、ジョンの歌だけをカセットテープに落として聴く「ビートルズ偏愛者」もいた。
しかし、この時のパフォーマンスは、曲の流れを壊すことなく彼女の心情の発露として素直に聴けた。別名「ハー・ブルース」とも呼ばれているらしい。
「この日のビートルズ」の次回は、12月27日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。



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上林 格(かみばやし・さとる)
1962年生まれ。この年、ビートルズが「LOVE・ME・DO」で英国デビューした。1986年、朝日新聞社に入社。東京本社社会部、地域報道部、東京総局など勤務。東京版で「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」を連載した。

(更新日:2007年12月11日)
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