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この日のビートルズ

1月11日甲虫日記 初のナンバー・ワン・ヒット誕生

年をとるにつれ昔の出来事の記憶は薄らいでいく。だけど、あの4人に関する「この日」だけは、忘れてしまいたくはない。20世紀最高のファブ・フォーをこよなく愛する人たちへ。ビートルズの4人にまつわる日付を手がかりに、思いつくまま、気の向くまま、つらつらと記していきます。

ミレニアムに発売された「ザ・ビートルズ1」には、ビートルズが活動していた1962年から70年にかけて英米のチャートいずれかで1位になった27曲が収められている。

正直に言おう。「ベスト盤? 何をいまさら」と鼻で笑っていた。ところが、日本だけで300万枚も売れ、東芝EMIの担当者の予想も覆す大記録となった。売り場を視察した担当者は、解散して30年もたつバンドのCDを10代の少年少女らが次々と購入する光景に目を疑ったそうだ。

ひとつだけ難癖をつけるとすれば、英国初のナンバー・ワン・ヒット「プリーズ・プリーズ・ミー」が収録されていないことだ。

1963年1月11日、第2弾シングルとして発売された。ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌で2週連続1位に輝くなど英国の主な音楽チャート(当時)のうち、レコード・リテイラー誌を除いた5つのチャートで1位になった。一方、米国では、64年1月30日に再発売され、ビルボードとキャッシュ・ボックスの両誌で最高位3位を記録した。

この成功は、自作曲にこだわるビートルズと音楽プロデューサー、ジョージ・マーティンの揺るぎない信頼関係を生み出すことにつながる。

62年4月、EMIのレコード・プロデューサーだったマーティンは、友人の紹介でブライアン・エプスタインに会い、ビートルズの自主制作盤を聴くことになった。彼らの演奏に初めてふれた感想は、意外にも「可もなく不可もない、平凡な出来」であった。

ただ、ある種の荒っぽさに感覚を揺さぶられた。歌っているのが1人だけでないのも気になった。次第に彼らが演奏するところが見たくなり、録音テストを兼ねたオーディションをすることにした。糸はつながった。

6月6日、彼らに初めて会った。「一目ぼれだった」と自著に記す。「非常に人の注意を引く彼らの個性、一緒にいて魅力を感じる若者だった」。録音契約を結んだ。

もっとも、現場に立ち会ったスタジオ・エンジニアのノーマン・スミスは、ビートルズがマーティンに認められたのは、演奏力や曲の良さというより、彼らの会話のおかげだと本気で信じている。

録音の途中、マーティンは4人に色々と指示をしたが、彼らは何も言い返さなかった。そこで「何か気に入らないことでもあれば遠慮せずいってくれ。何とか手だてを考えてみる」と呼びかけた。

4人はお互い顔を見合わせて長い間モジモジしていた。そして17歳も年が離れたジョージ・ハリソンがマーティンの顔をまじまじとみながらいった。「うん、あんたのネクタイが気に入らない」。マーティンは腹の底から笑った。

双方の関心は、どうやってヒット曲を生み出すか、に変わった。

マーティンは、ジョンとポールの曲作りの能力について「先行き売れる見込みがない」と厳しい評価をしていた。彼らのスタイルにあった他人の曲を見つけ、声が最も魅力的と評価したポールをリーダーに、ほかの3人はバッキング・グループにする「思い違い」もプランにあった。一方、ビートルズは自作曲にこだわりをみせていた。

9月4日に2回目の録音。ドラマーがリンゴに代わった新生ビートルズ。マーティンはプロの作曲家が書いた「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」を録音させた。それが終わるとリンゴがドラムをたたいた自作曲「ラブ・ミー・ドゥ」の録音もした。

4人は自作曲でのデビューをかたくなに主張した。マーティンは、「ハウ……」に匹敵する曲が書ければそちらをやることにしよう、とかわした。

マーティンは頭の中のモヤモヤを整理したかった。妻と連れ立って4人が出演するリバプールの「キャバーン・クラブ」に出かけた。

立錐の余地もない地下の「穴蔵」は、人いきれがすぐに水滴になって壁をつたうような熱気があった。そこで聴衆がビートルズの「耳障りな音楽」に一瞬一秒にのめり込んでいく様子を目の当たりにした。ビートルズの音楽が、若者が本質的に求め、枯渇していた最も深いルーツからあふれるものだと気づいた。

マーティンは、「ボーイズ」と呼ぶ4人に選曲を任せることにした。デビュー曲は「ラブ・ミー・ドゥ」に決まり、「ハウ……」はEMIの貴重な秘蔵盤になった。

9月11日、デビュー曲の仕上げの録音が終わると、次に4人は「プリーズ・プリーズ・ミー」に取りかかった。

この曲は、ビング・クロスビーが32年に発表した「Please」にヒントを得ている。言葉遊びが好きなジョンが、歌詞の「お願いだ(please)ぼくの願い(pleas)に耳をかたむけてほしい」にある「please」と「pleas(『懇願』の意味を持つpleaの複数形)」という同音異義語を使った手法に感動し、綴りと発音が同じで2つの意味を持つ「please」という言葉を使って曲を作ろうと思いついた。

ロイ・オービンソンの「Only The Lonely」からインスピレーションをうけて書いてもいる。最初のテイクを録音したテープは現存しないが、マーティンが「とてもスローで、ボーカルはブルージーで、ロイ・オービンソンのナンバーみたいだった。テンポを速めなくちゃ使い物にならないと思った」と話していることから、何となくイメージはつかめる。

マーティンは、「テンポを上げてタイトなハーモニーをつければ、パッとした曲になる」とジョンにアドバイスした。自作曲でデビューを飾ることができた4人は、長身の「音楽教師」の言葉に素直に従った。

11月26日、「プリーズ……」に再びチャンスが巡ってきた。ジョンが「ちょっと変えてみた」曲は、つぼを押さえたマーティンのアドバイスが効果的にいかされていた。

録音が終わると、マーティンはスタジオ内のマイク・ボタンを押して言った。

「初のナンバー・ワン間違いなしだ」

ポールは「マーティンが先を見る目があることを初めて示した」と敬意を込めたコメントを残している。

「この日のビートルズ」の次回の更新は、1月30日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。

お知らせ

ジャケット写真

「THE BEATLES 1」

  • 2000年11月13日 EMIミュージック・ジャパン

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収録曲

  1. ラヴ・ミー・ドゥ
  2. フロム・ミー・トゥ・ユー
  3. シー・ラヴズ・ユー
  4. 抱きしめたい
  5. キャント・バイ・ミー・ラヴ
  6. ア・ハード・デイズ・ナイト
  7. アイ・フィール・ファイン
  8. エイト・デイズ・ア・ウィーク
  9. ティケット・トゥ・ライド(涙の乗車券)
  10. ヘルプ
  11. イエスタデイ
  12. デイ・トリッパー
  13. 恋を抱きしめよう
  14. ペイパーバック・ライター
  15. イエロー・サブマリン
  16. エリナー・リグビー
  17. ペニー・レイン
  18. オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ(愛こそはすべて)
  19. ハロー・グッドバイ
  20. レディ・マドンナ
  21. ヘイ・ジュード
  22. ゲット・バック
  23. ジョンとヨーコのバラード
  24. サムシング
  25. カム・トゥゲザー
  26. レット・イット・ビー
  27. ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード

Profile

上林 格(かみばやし・さとる)

1962年生まれ。この年、ビートルズが「LOVE・ME・DO」で英国デビューした。1986年、朝日新聞社に入社。東京本社社会部、地域報道部、東京総局など勤務。東京版で「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」を連載した。

(更新日:2008年1月11日)

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