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この日のビートルズ

1月30日甲虫日記 屋上のラスト・ライブ

年をとるにつれ昔の出来事の記憶は薄らいでいく。だけど、あの4人に関する「この日」だけは、忘れてしまいたくはない。20世紀最高のファブ・フォーをこよなく愛する人たちへ。ビートルズの4人にまつわる日付を手がかりに、思いつくまま、気の向くまま、つらつらと記していきます。

映画「レット・イット・ビー」(80分)のクライマックスを飾る「ルーフ・トップ・コンサート」は、1969年1月30日、背広発祥の地で有名なロンドンの中心街サビル・ロウにあるアップル・ビル本社屋上で撮影された。

寒風をついての昼時の演奏。リンゴは妻モーリーンの赤いレインコートを借り、ジョンはヨーコの毛皮のコートを着た。風の音が入るのを防ぐため、マイクには女性用ストッキングがかぶせられた。演奏の合間、リンゴが鼻をかんだり、手がかじかんだジョンが「うまくコードが弾けない」とぼやいたりする。

4日前に発案された5階建てビル屋上でのライブ・パフォーマンスには、2つの目的があった。ひとつはテレビで放送予定だったドキュメンタリー番組のクライマックス・シーンの撮影であり、もうひとつは新作アルバムに収録する新曲のレコーディング(録音)だった。最初から映画制作の目的で撮影したのではなかった。

約42分間の屋上ライブでは3曲が複数回演奏された。「ゲット・バック」はリハーサルとオープニング、エンディングの計3回。「ドント・レット・ミー・ダウン」と「アイヴ・ガッタ・フィーリング」が2回ずつ。ほかに「ワン・アフター・909」と「ディグ・ア・ポニー」。キーボードにビリー・プレストンが参加している。

アルバム「レット・イット・ビー」には、この日演奏された「アイヴ・ガッタ・フィーリング」(1回目)と「ワン・アフター・909」「ディグ・ア・ポニー」の3曲が収録されている。

この「ライブ」が開かれるまでの物語を語るとき、長く複雑で、痛ましいエピソードにふれなければならない。

世間には伏せられていたが、68年に発表された「ホワイト・アルバム」を制作する過程で、リンゴが一時脱退するなどバンド内には亀裂が生じていた。

グループ活動を促す役回りになっていたポールが思い悩んだ末に考えついた解決策は、バンドの原点に立ち返ることだった。ギター、ベース、ドラムというロックンロールの基本スタイルに立ち返り、聴衆を前にしたライブを撮影し、全世界にテレビ放映する。

こうして動き出した「ゲット・バック・セッション」は当初、3つのライブのベスト場面をつなぎ合わせて全世界に放映する計画だった。これとは別にドキュメンタリーを制作するため、演奏のリハーサル模様はすべて撮影することになった。

年明けの2日からトゥイッケナム・フィルム・スタジオでリハーサルが始まった。ビートルズは新曲を8曲準備した。テレビ・ショーで初めて新曲を披露し、そのライブ盤を発売するという斬新な手法を考えていた。ジョージ・マーティンもその手法に価値を認めていた。

事件はまもなく起きた。ジョージの演奏に対するポールの注文に、ジョージがかんしゃくを起こす。その場面は映画にも登場する。「君がそうしろと言うなら何でも弾く。でなければ何も弾かないよ」という有名なセリフを吐くシーンだ。10日、ジョンとも衝突したジョージはバンドを抜けてしまう。

数日後、全員がジョージの家に行って話し合うことで復帰はかなったが、彼が乗り気でなかったテレビ・ショーの計画は中止になった。4人ができることは、新曲を完成させてアルバムに使うことと、録音場所をアップル・スタジオに移してもドキュメンタリーの撮影は続けることだった。

撮影されたフィルムは96時間分に及んだ。1時間のドキュメンタリーを2本制作し、2夜連続でテレビ放映する計画もあった。膨大な撮影フィルムを活用するため、映画制作が決定されたのは6月以降になる。おそらく、映画会社ユナイテッド・アーティスツとの契約に残されていた、「3本目の主演映画」問題をクリアするためだったのだろう。

僕が30数年前に初めて映画をみた時、端からアルバム制作の録音模様を撮影した映画だと信じていた。ところが、映画の前半にあるトゥイッケナム・フィルム・スタジオでの様子は、テレビ・ショーのためのリハーサルだったわけだ。気合いの入っていない演奏シーンが多いのもうなずける

屋上ライブが始まると、ビルの周辺は人だかりができて交通渋滞を引き起こした。何の告知もなく出し抜けに行ったライブは警察の介入を招く。ビルの屋上に上がってきた警官を前に、彼らは最後の曲「ゲット・バック」の演奏を始める。自分たちが逮捕されることを期待したのだ。映画のエンディングにふさわしいシーンになると。

ハプニングが起きた。演奏の途中でジョンとジョージのギターの音が出なくなる。映画ではその後、ジョージがアンプのスイッチを入れ直すシーンをみることができる。

アンプが故障したという説がある。だが、状況からしてアップル役員でもあったマル・エバンスが、演奏をやめさせようとスイッチを切ったのだろう。

ポールがアドリブで挑発的に歌う。

「また屋上で演奏したね、ママはこれが嫌いなのを知っているだろう、そのうち逮捕されちまうぞ」

しかし、警官は「音を下げろ」と注意しただけで帰ってしまった。

曲が終わった。「ありがとう、モー」。ポールは熱心な拍手と声援を送ったモーリーンに軽く礼を言う。ジョンは芝居がかった口調で、こう付け足す。

「グループと自分たちを代表してお礼を申し上げます。オーディションに合格したかな」

小さな笑いが起きた。誰一人として、これがビートルズ最後のライブ・パフォーマンスとなるとは想像できなかった。

「この日のビートルズ」の次回は、2月9日です(更新は8日)。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。

お知らせ

ジャケット写真

「レット・イット・ビー」

  • 1998年3月11日 EMIミュージック・ジャパン

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収録曲

  1. トゥ・オブ・アス
  2. ディグ・ア・ポニー
  3. アクロス・ザ・ユニバース
  4. アイ・ミー・マイン
  5. ディグ・イット
  6. レット・イット・ビー
  7. マギー・メイ
  8. アイヴ・ガッタ・フィーリング
  9. ワン・アフター・909
  10. ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
  11. フォー・ユー・ブルー
  12. ゲット・バック

Profile

上林 格(かみばやし・さとる)

1962年生まれ。この年、ビートルズが「LOVE・ME・DO」で英国デビューした。1986年、朝日新聞社に入社。東京本社社会部、地域報道部、東京総局など勤務。東京版で「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」を連載した。

(更新日:2008年01月30日)

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