年をとるにつれ昔の出来事の記憶は薄らいでいく。だけど、あの4人に関する「この日」だけは、忘れてしまいたくはない。20世紀最高のファブ・フォーをこよなく愛する人たちへ。ビートルズの4人にまつわる日付を手がかりに、思いつくまま、気の向くまま、つらつらと記していきます。
ビートルズ2本目の主演映画「HELP!(4人はアイドル)」(92分)は1965年2月23日、米国・フロリダ半島の南東に位置する英国領バハマ諸島(当時)で撮影が始まった。
前作「A HARD DAY’S NIGHT」の成功に気をよくした映画会社「ユナイテッド・アーティスツ」は、予算を約100万ドルに倍増し、カラー映画で制作することを前年10月に発表していた。
前作は、ロンドンの路地裏など地味なロケ地で撮影されたモノクロ映画だったにもかかわらず、ビートルズがビートルズ自身を演じ、彼らのシュールリアリスティックなユーモアが受けて、興行的に大成功した。
対照的に「ヘルプ」は、リンゴに贈られた指輪をめぐる陰謀にビートルズの面々が巻き込まれるコメディー・スリラー。南国バハマのビーチやアルプスでのスキー・シーンなどロケ地の話題も豊富で、前作とは明らかに毛色の違う作品になることが予想された。
ところで撮影場所になぜバハマが選ばれたのか。コロンブスが上陸して「新大陸」発見とされたサン・サルバトル島など約700の島々と約2400の岩礁からなる群島には、ちょっとしたわけがある。
ビートルズの経理担当だったウォルター・ストラックという男は、ビートルズの税金対策のために銀行口座をバハマに開設していた。ストラックは口座開設の準備のために1年間もバハマに滞在し、ビートルズが買うことになっていた家に住んでいた。そこでの撮影はバハマ当局への配慮もあった、というわけだ。
実際、ビートルズは映画プロデューサーのウォルター・シェンソンとバハマにプロダクション会社を設立し、ストラックが管理していた。残念ながら67年にポンドの切り下げがあったときには、8000ポンドの損失を被った。ポール流の解説によれば「悪いが家を売ってしまったから、来てもらうわけにはいかない」という結末になったらしい。「何となく詐欺的な行為」という後ろめたさがあったことを認めている。
そんな裏の理由はともかく、どんより曇った2月のロンドンよりバハマ諸島の撮影に異を唱えるものはいるはずがない。ビートルズは3月9日まで滞在し、大勢の観光客が見守る中、順調に撮影をこなしていった。その後、オーストリア・ロケを経てロンドンに戻り、サウンド・トラック・アルバム作りも含めた6月中旬まで、4人は映画作りに没頭する。
映画タイトルは当初「エイト・アームズ・トゥ・ホールド・ユー」と新聞に発表された。ところが新曲に適さないタイトルだ、と気づいた映画監督リチャード・レスターが助け舟を出した。
レスターはもともと脚本のタイトルに「ヘルプ ヘルプ」と付けたがっていた。だが、米国脚本家協会には同名の作品が登録されていた。最後に感嘆符をつけさえすれば法律上の問題がない、との弁護士の助言を受けてタイトル「HELP!」が生まれた。
タイトル曲はジョンとポールが4月4日につくりあげた。「ヘルプの撮影は退屈だった」。映画については否定的なコメントを残しているジョンだが、タイトル曲の歌詞と、その歌詞が表現している自己認識には誇りを持っていた。
「後になって、僕は助けを求めて本当に大きな声で叫んでいたことがわかった。だから、あれは僕の太ったエルヴィス時代だったといえる。映画を見てごらんよ。彼は――僕――はとても太っているし、とっても不安定で、完全に自分を見失っていた」(Playboy interview 1980年9月)
歌っていることはあくまでも真実であり、本当に助けを求めていたのだと語っている。昨年発売されたDVDでは、映画制作中、彼らがマリフアナ漬けの生活だったことを、レスター監督らが明らかにしている。
アルバムのジャケット写真は、左から右へジョージ、ジョン、ポール、リンゴと並ぶ。4人は手旗信号を持ち、それぞれH、E、L、Pを示している。米国盤はジョージ、リンゴ、ジョン、ポールの順になっているため「HPEL」となる。旧ソ連盤は並ぶ順がまったく逆で「PLEH」と4人が叫んでいることになる。
映画は7月29日にロンドンのパビリオン劇場でプレミア公開された。スリラータッチでギャグ満載のコメディー映画は世界中で大ヒットした。日本でロードショー公開前に特別公開された際には、機動隊員が動員され、興奮した観客にスクリーンを切られることを恐れた映画館が、スクリーンに保険をかけたという逸話が残っている。
「この日のビートルズ」の次回は、3月7日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。

上林 格(かみばやし・さとる)
1962年生まれ。この年、ビートルズが「LOVE・ME・DO」で英国デビューした。1986年、朝日新聞社に入社。東京本社社会部、地域報道部、東京総局など勤務。東京版で「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」を連載した。

(更新日:2008年2月22日)
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