人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
ビートルズは、下積み時代に「シルバー・ビートルズ(Silver Beetles)」という名で活動していた時期がある。60年1月にスチュアート・サトクリフがメンバーに加わってから、8月にピート・ベストをドラマーに迎えて初のハンブルク巡業に旅立つまでのころだ。
ジョンのバンド「クオリーメン」の名は、ジョン、ポール、ジョージがトリオで活動していた59年後半は「ジョニー&ザ・ムーンドッグズ」に変わった。スチュが加わると、「ビータルズ(Beatals)」、「シルバー・ビーツ(Silver・Beats)」、「シルバー・ビートルズ」とめまぐるしく名を変えた。小文字の「e」の1個が「a」に変わる。
5月10日、シルバー・ビートルズは、英国トップ・クラスのポップ・ミュージック・プロモーターだったラリー・パーンズが開いたオーディションを受けた。パーンズはお抱え歌手の全国ツアーのために、低賃金で雇えるバック・バンドを探していた。
当時、ジョンはバンドのマネジャーのような役を、リヴァプールの中心街でザ・ジャカランダ・コーヒー・バーを経営していたアラン・ウィリアムズに任せていた。アランは、ジャカランダの小さな地下室を改造したダンスホールでライブショーを企画し、パーンズとは商売でつながりがあった。
バンドの弱点は固定したドラマーがいないことだった。そのためクラブなどの出演依頼もなかった。
アランは、オーディション直前にトミー・ムーアという36歳のドラマーを連れてきた。ところがトミーは4曲10分間のオーディション本番に遅れてしまう。代役をたてたが、結局、その日はだれも選ばれなかった。
パーンズは方針を変えて、少し格下の歌手のイギリス北東部ツアーとスコットランド・ツアーのバック・バンド2組を連れて行くことにした。真っ先にシルバー・ビートルズが選ばれた。
同行する歌手は、リヴァプール出身で20歳のジョニー・ジェントル。
3人のメンバーはステージ・ネームを考えた。ポールは、ポール・レイモン、ジョージはカール・パーキンスにちなんでカール・ハリソン、スチュはロシアの芸術家ニコラ・ド・スタールにちなんでスチュアート・ド・スタール。
準備に2日間しかなく、ジョージとトミーは勤め先にあわてて欠勤届を出した。ジョンとスチュはアート・スクールをさぼり、ポールは気分転換すれば学校の成績が上がるから、と父親を説得した。
ツアーは5月20日から9日間で7ステージをこなす契約だった。だが、ずさんな計画によって、ツアーは惨憺たる結果をもたらす。
一行は運転手付きのバンで、1日に300マイル(480キロ)も移動することも余儀なくされた。ある日、途中で運転を代わったジョニーが自動車事故を起こし、トミーが脳しんとうをおこして前歯を数本折り、病院に担ぎ込まれたこともあった。持ち金が底をつき、ホテル代を支払わずに逃げ出したこともあった。
ロックン・ロール・バンドとして初めてのツアーだったが、彼らは疲れ果て、一文無しになって帰ってきた。それからも不遇の時期は続く。アランとジャカランダの出演契約を結んだが、出演バンドがいない日の「穴埋め」役であり、ギャラは、コカ・コーラと豆をのせたトーストだったという。
甲虫がまだ幼虫だったころ。ただ、辛い話だけでもない。
シルバー・ビートルズに対するジョニーの最初の印象は「パーンズはなんてやつらをよこしたんだ」だった。ところが、彼らと巡演前にリハーサルをして評価は一変した。ジョニーは舞台衣装をあてがい、シルバー・ビートルズを解雇しないようにパーンズを説得したという。
パーンズによれば、ジョニーはツアー中、毎晩のように電話をしてきて彼らの演奏をほめていたという。ただ、パーンズはソロ歌手を専門に手がけており、5人組のバンドを手がける気はなかった。
7月、ジョニーはシルバー・ビートルズが演奏しているステージをわざわざ父親と見に行き、一緒にステージに立って数曲歌っている。
ジョニーは、シルバー・ビートルズと巡演中、「アイヴ・ジャスト・フォールン・フォー・サムワン」という曲を書いていた。ジョンが途中の8小節を手伝った。ジョニーはその曲をパーロフォンで吹き込み、ダレン・ヤングの芸名でシングルが発売された。
「この日のビートルズ」の次回は、5月30日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。

アルバム「ANTHOLOGY 1」ではクオリーメン時代の1958年の未発表音源や、スチュアート・サトクリフがビートルズとして演奏した曲を聞くことができる。


上林 格(かみばやし・さとる)
1962年生まれ。この年、ビートルズが「LOVE・ME・DO」で英国デビューした。1986年、朝日新聞社に入社。東京本社社会部、地域報道部、東京総局など勤務。東京版で「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」を連載した。

(更新日:2008年05月10日)
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