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この日のビートルズ

7月5日甲虫日記 恐怖と混乱 マニラ脱出劇

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人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけ ではなく、文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。

「人生であれほど恐怖を覚えたことはなかった。もう二度と行かない」(ジョージ)

「今はあそこの上空を飛ぶことすら嫌だ」(ジョン)

「あそこにもう一度行くかって? 冗談じゃない!」(リンゴ)

「絶対にあそこには行きたくない」(ポール)

ビートルズが恐怖におののく「あそこ」とは、1966年7月5日、這々の体で空港を飛び立ったフィリピンの首都マニラのことだ。

7月3日、日本公演を終えたビートルズは香港を経由してマニラに上陸する。翌4日、リサール・メモリアル・フットボール・スタジアムで2回の公演を予定していた。

ジョージは、誰かがホテルの部屋のドアを叩く音で起こされた。

「何している。君たちは宮殿に行くはずじゃないか。テレビをつけてみろ」

マラカニアン宮殿からの生中継だった。長い大理石の廊下の両脇に、ずらっと人が並び、大勢の子どもたちが待っている。テレビのコメンテーターが説明する。「まだ現れません。ビートルズはもう到着するはずですが」

ジョージは呆然とテレビ画面をみつめるしかなかった。

宮殿の主は、前年の大統領選挙で当選したフェルディナンド・マルコス。86年の人民革命で打倒されるまで、事実上の独裁者として君臨した。

朝食が部屋に運ばれるのを待っていたジョンとリンゴも、その恐ろしい番組をみることになる。

「マダム・マルコスが叫んでいるんだ、『私は侮辱された』って。カメラマンは空っぽの皿とか、ちっちゃい子の顔とかアップにして映していた。子どもはみんな泣いているんだ、ビートルズが来てくれなかったって」

ロード・マネジャーのニール・アスピノールと街を見学してホテルに戻ってきたポールは、「大統領官邸に行く約束を忘れたのか」と周囲の男たちに責められた。

ビートルズは金持ちや有名人からの招待を断るのが常だった。

「どういうことなんだ」。ニールはマネジャーのブライアン・エプスタインに訊(たず)ねた。「僕がキャンセルした。出席する予定などなかった」

マニラ公演の興行主ラモン・ラモスがエプスタインに示した日程表には、午後4時にスタジアムに到着する以前の「午後3時に宮殿に赴き、大統領夫人を訪問し、その後スタジアムに向かう」と書かれていた。宮殿訪問は「ビートルズとその一行の了解」に基づくものと強調されていた。

ブライアンは招待を断った。開演2時間前にスタジアムに到着したいと考えていたため、実際は無理な話だった。

ところが、ラモスは、ビートルズが訪問できないことを宮殿側に連絡しなかった。しかも宮殿側が設定した訪問時間は午前11時だった。

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