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この日のビートルズ

7月17日甲虫日記 エピーの遺産、黄色い潜水艦

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人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけ ではなく、文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。

1968年7月17日、当時は映画館だったロンドン・パビリオンでアニメ映画「イエロー・サブマリン」のワールド・プレミア・ショーがあった。ビートルズがツアーをやめて約2年。この夜は、公の場に「ビートルマニア現象」が発生した最後の日になった。

ピカデリー・サーカス近くの劇場周辺は、ファブ・フォーを一目見ようとする何千というファンの熱狂に包まれた。みんな自分たちのアイドルを一目見ようと「Yellow Submarine」を合唱していた。劇場の入り口には、警官隊が腕を組んでファンが殺到するのを防いでいた。

4人は、約1カ月半前に始まったアルバム「THE BEATLES」の録音に取りかかっていた。上映の前日、録音エンジニアのジェフ・エメリックが仕事を降りた。ジェフは、グループ内の張りつめた険悪な雰囲気に耐えきれなくなっていた。こうしたスタジオでの緊張感をよそに、ファブ・フォーはファンの前にさっそうと姿を現した。

「ビューティフル・ピープル」と呼ばれた人々がまちを闊歩(かっぽ)したサイケデリックな時代。劇場の入り口には、男女を問わず、あでやかな衣装に奇抜なヘアスタイル、きらびやかなアクセサリーを身にまとったセレブたちが次々と到着した。

午後8時過ぎ、しゃれたスーツに蝶ネクタイを着けたリンゴが、首までボタンで留めた豪華なレースのブラウスをまとったモーリーンを連れ添ってきた。ジョージとパティは黄色い服で登場した。ポールはダークスーツに真っ黄色のタイできめ、ジョンの白いスーツと濃い色のシャツとの対照がお互いを引き立てあった。

上映後、ハイド・パーク近くのホテルでパーティーが開かれた。会場になった地下の小さな高級ディスコの名は「イエロー・サブマリン」。数年はその名で営業を続けたという。

ビートルズやゲストたちがパビリオンから到着すると、ディスコは200人を超すセレブたちでにぎわった。ローリング・ストーンズやビージーズらおなじみの面々もいた。ジョンは帰り際、広報担当のトニー・バーロウに向かって上機嫌にこう言った。

「ビートルズの次のアニメ映画の話を書きたいよ」

残念ながらこの話は立ち消えとなったが、解散後、ジョンは映画のコピーを自宅で繰り返し観(み)ていた。ジョージは絶賛し、リンゴは自分のテーマ・ソングにした。ビートルズがアンソロジー・プロジェクトで「再結成」すると、シングル「Free As A Bird」のビデオ・クリップには映画のキャラクター、ブルーミニーが登場した。

実をいうと、ビートルズは映画制作にほとんどかかわっていない。それどころか、彼らは映画づくりに乗り気じゃなかった。

きっかけは、65年9月から米国ABCテレビで始まったビートルズのアニメシリーズだ。毎週土曜日の夜、視聴率45〜50%の数字を稼いだ人気番組は69年9月まで続いた。だが、ビートルズは自分たちのマンガが気に入らなかった。2人の米国人声優による吹き替えた声が自分たちに似ていないのも嫌だった。映画の話が持ち上がったとき、テレビアニメがそのまま映画になると疑っていた。

映画製作には乗り気ではなかったが中身は… 次のページへ

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