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人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。

歴史的なビートルズの「米国上陸」に便乗し、商魂たくましくレコードを売りまくった会社がある。その名は「ヴィー・ジェイ(Vee Jay)」。米国で最初にビートルズのレコードを販売した弱小レーベルだ。

その手法は粗製乱造そのもの。ビートルズの楽曲わずか16曲を何度も使い回し、1年9カ月の短期間にアルバム5枚、4曲入りEP盤1枚を含むシングル11枚を売った。4枚のシングルを同時に再発売したり、他のアーティストの曲と抱き合わせた2枚組アルバムを仕立てたりして、販売する権利があった楽曲を最大限に利用した。

ヴィー・ジェイは1963年1月25日、ビートルズの英国盤を販売するEMI傘下のレーベル「パーロフォン」と米国販売の契約を交わした。EMIは米国の大手レコード会社キャピトルと提携していたが、キャピトルはビートルズのシングルを米国で発売することを拒否していた。

ビートルズのマネジャー、ブライアン・エプスタインは、この資金力のある大手レコード会社に熱心に売り込みをかけるが、担当者は頑として受け付けなかった。というのは、「英国人が歌うロックンロールは米国では売れない」というジンクスが、米国の音楽業界で信じられていたからだ。

エルヴィス・プレスリーの登場によって、ロックンロールは人種を超えたエンターテインメントになった。英国製プレスリーが続々と現れた。しかし、海を越える壁は高かった。人気絶頂だったクリフ・リチャードでさえ、60年に「米国上陸」を果たそうとしたが散々な結果に終わる。これに懲りたキャピトルは、英国アーティストのリリースに消極的になった。売り込む側のEMIも、ビートルズにそれほど期待をかけてはいなかった。

閉ざされた米国進出の道を切り開こうと、パーロフォンのプロデューサーだったジョージ・マーティンは、「ヴィー・ジェイ」を推挙した。地方都市シカゴに設立された弱小レーベルながら、ブルースやジャズの分野では実績があったからだという。

契約から1カ月後の63年2月25日、ビートルズの米国でのデビュー・シングル「Please Please Me/Ask Me Why」が発売された。5月には2作目のシングル「From Me To You/Thank You Girl」を出した。しかし、2枚ともまったく売れなかった。資金力に乏しい弱小レーベルには、英国の無名のバンドを売り込む戦略も販売網もなかった。

弱小レーベルとはいえ、アルバム制作も手がけた。これが米国初のビートルズのアルバム「INTRODUCING THE BEATLES」だ。ところが、トラブルが起きてアルバム発売は一時凍結される。

経営者のギャンブル好きが会社の財政を圧迫していた。ビートルズの最初のシングル2枚分の印税をEMI側に支払っていなかったほどだ。このため、米国内でEMIの楽曲販売権を管理するトランス・グローバル社は、ヴィー・ジェイに対し63年8月8日付で、ビートルズの楽曲販売権の取り消しを通告した。EMIとヴィー・ジェイがもめていると、別の弱小レーベル「スワン」が3枚目のシングル「She Loves You/I'll Get You」を9月に発売した。

ヴィー・ジェイのトラブルはまだまだ続いて… 次のページへ

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