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人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。

6月には珍しい大型の台風4号が日本本土に接近していた。

西ドイツのハンブルクを飛び立ち、日本へ向かっていた日本航空412便「松島」は、急きょ、航路を変更しアラスカのアンカレジ空港に緊急着陸した。そこで、台風の日本通過を待った。

「羽田じゃなくて福岡の板付に緊急着陸するかもしれん、みたいなうわさが流れた」

高校3年生だった鮎川誠(シーナ&ロケッツ)は、すぐさま仲間と原付きバイクを飛ばした。向かう先は、久留米から40キロばかり離れた福岡空港。雨混じりの強い風の中、1時間半かけて「出迎え」に行った。

「ガランとした空港に、そういう連中が他にも何人かいた」

45年前、鮎川が体感した空気のにおいが伝わってくる。

1966年6月29日午前3時39分、日航412便は予定より10時間以上遅れて羽田空港31番スポットに到着した。

ドアが開いた。ポール、ジョン、リンゴ、ジョージの順にビートルズがタラップを降りてくる。全員が日航からプレゼントされた法被を羽織っている。待ち構えるのは、約250人の報道陣と多数の警官。700メートル離れた送迎デッキに、ファンの影はまばらだった。

空港は厳重な警備態勢が敷かれていた。500人の機動隊員が配置され、ロビーでは私服刑事が鋭い目を光らせていた。ビートルズを出迎えようと空港に詰めかけたファンの多くは、追い返されていた。

午前3時47分、ビートルズを乗せた薄あずき色のキャデラックは、前後5台のパトカーに守られて滑走路わきを出発した。首都高速を走り抜け、午前4時13分、空港から約20キロの東京ヒルトン・ホテルに到着。ここで出迎えたファン約15人に対し、250人以上の警官が警備にあたっていた。午後になると、警官の数は800人以上に増えた。

この日の朝日新聞朝刊のコラム天声人語は、こんな書き出しで始まる。

「台風4号が去ったあとに、こんどは“ビートルズ台風”である。警視庁では、延べ三万五千人の警官を動員して、『安保・日韓』につぐ警備体制をしくという」

ビートルズが日本に滞在したのは約103時間。計5回の公演のためにホテルと日本武道館を往復したのと、出入国のために空港を往復したこと以外、彼らはホテルに“軟禁”されたに等しい状態だった。

「コンサートの時間になるまで部屋から出してもらえなかった」とジョージが嘆く。ジョンとポールは警察の目を盗んでこっそり外出したが、リンゴとジョージは93時間もホテルにいたことになる。

初来日したリンゴによる日本人観。

「日本人というのは時間をものすごく大切にする。僕らが部屋を出るのは7時14分、エレベーターの前に7時15分30秒に到着、エレベーターから車に乗り込むまで1分と8秒、すべてそういう具合」

同じくポールの感想。

「すべての車の座席位置もぴっちり決めてあった。驚くべき効率性だね」

4人はプレジデンシャル・スイートで仮眠をとった。午前11時すぎ、ルーム・サービスによる遅い朝食。メニューはグレープフルーツ・ジュース、スクランブル・エッグ、トースト、紅茶など。

午後開かれた記者会見。日本人記者とのトンチンカン?なやり取り… 次のページへ

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