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この日のビートルズ

9月9日甲虫日記 悲劇招いた思い込み

人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。

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ジョン・レノン(左)とポール・マッカートニー
=1968年5月16日、ロンドン空港で
(Photo by Stroud/Express/Getty Images)

「曲を聴いてブッとんだ」とは、僕の経験ではこの曲のことだ。初めて聴いたとき、反射的にステレオのボリュームを絞ってしまった。 恥ずかしいものを見たときのようなヤバさがあった。

2枚組の「ホワイト・アルバム」C面の6曲目「へルター・スケルター」。不協和音的なサウンド、絶叫するポールのボーカル。最後は 「指にたこができちまった」と叫ぶリンゴの悲鳴でバチッと切れる。

レコードの歌詞カードをみた。「対訳不能」の4文字。「何なんだ、この曲?」

ならば自力で、と辞書を片手に奮闘するが、平凡な中学1年生の英語力は、混乱を増幅させるものでしかなかった。「底に落ちて、トップに上がって・・?」

この曲のアルバム・バージョンの録音は、1968年9月9日にあった。

ポールは、ザ・フーのニュー・シングルを激賞した音楽誌の記事に触発されて、この曲をつくった。記事を読んだ時点で、褒められた 曲を聴いたこともないのに、負けないくらいパワフルな曲を書いてやろうと思い立ったという。

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1970年頃のチャールズ・マンソン(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

その曲は67年10月にリリースされた「恋のマジック・アイ」。ポールを嫉妬させた記事は研究家の間で、クリス・ウェルチによるメロ ディ・メーカー誌のレコード評と、ほぼ特定されている。

――嵐のようなシンバルの乱打と力任せのギター・プレーで長丁場を乗り切るこの曲によって、常識はずれなバンドとしてのザ・フー は見事に復活を遂げた――

しかし、「恋のマジック・アイ」にはしっかりとしたメロディーがある。「ストレートで、洗練されていた」。曲を聴いたポールも、 レコード評のイメージと実際の曲が違っていたことを認めている。

だが、「聴いた人間が腰を抜かす」曲を本気で書きたいと思い立ったポールは、それをやり遂げた。

「ぼくらは、できる限りでかい音で、汚らしくて、汗まみれのロック・ナンバーをやることにした」

最初の録音は7月18日。リハーサルに近いもので、3テイクが録音された。一部は「アンソロジー3」で聴くことができる。ドラムとベー ス、リード・ギター、リズム・ギターのシンプルな構成。ポールのボーカルが秀逸なスロー・バージョンだが、1本目が10分40秒、2本目 は12分35秒、3本目になると27分11秒もあり、アルバムに収めるには長すぎた。

リメーク・セッションとなる9月9日は、ジョージ・マーティンが休暇に入り、若手クリス・トーマスがスタジオを指揮する初日にあたった。

後にピンク・フロイドやロキシー・ミュージックなどを手がけ、80年〜90年代を代表する、あの名プロデューサーである。

クリスにはやっかいだが、この頃、ビートルズは音楽に関することはほとんど自分たちがコントロールするようになっていた。ジョージ・マーティンも彼らの才能を認め、放任していた。

早速、ポールがこの若手指揮官に辛辣な励ましの言葉を贈った。

「君が僕らをプロデュースしたいならそうすればいい。もしそうでないなら、追い出されても文句言うなよ」。クリスは黙るしかなか った。

ビートルズがスタジオで何をしようと、みんなが見て見ぬふりだった。クスリをやっているのは明らかだったが、スタジオのなかでは 彼らが法律だった。彼らはその夜、完全に舞い上がっていた。

クリスは証言する。「ポールがボーカルを録っている間、ジョージ・ハリソンは灰皿で火を燃やし、それを頭上に掲げてスタジオを走り回り、(怪異ロッカーの)アーサー・ブラウンになりきっていた」

この曲は、後に、この曲に触発されたヒッピーたちが、おぞましい事件を起こしたことで、センセーショナルな話題を呼ぶことになった。

英国人にとって、「へルター・スケルター」は縁日で見かける螺旋状の滑り台である。しかし、68年12月にホワイト・アルバムを聴い た米国人のヒッピーで、新興宗教の指導者チャールズ・マンソンは、隠された意味があると信じ込んだ。

マンソンは、この曲のタイトルを、彼がまもなく起こると信じていた人種闘争と黙示録の名称だと思い込み、アルバムに収録された他 の曲名と組み合わせて、勝手に物語を作りあげた。

〈へルター・スケルター〉が現れたとき、〈ロッキー・ラックーン〉に率いられたブラック・パンサーが〈ピッキーズ〉の処刑に立ち 上がる。

信奉者には、「へルター・スケルター」が現れたとき、黒人解放闘争を展開していた急進的な政治組織ブラック・パンサーが蜂起して、 中産階級の白い「豚ども」を殺すときが迫っている、と説いた。

殺人を正当化したマンソンは、信奉者を殺し屋として送り出す。69年8月、ビバリー・ヒルズのある邸宅が標的になった。偶然、 パーティーを開いていた映画監督ロマン・ポランスキーの妻で女優シャロン・テートらが惨殺された。

殺人現場のひとつに「へルター・スケルター」という言葉を血で書き残したことが、その後の警察の捜査における重要な手がかりとな った。マンソンは逮捕され、死刑判決が下された。だが、72年にカリフォルニア州で死刑制度が一時的に廃止になったため、自動的に終 身刑に減刑された。事件を担当した検察官が出版した、曲名と同じタイトルの本はベストセラーになった。

ジョンは、マンソンの曲の解釈はばかげたものだと語った。歌詞の意味や象徴しているものを読み取ろうとしたのは、ビートルズのフ ァンにありがちな性癖だ、と。

「へルター・スケルターと人を刺すことと何の関係があるのか分からない。歌詞をちゃんと聴いたことなんてない。ただの音なんだか ら」

マンソンが読み取ったのは、最初から曲には存在しないメッセージだった。

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「この日のビートルズ」の次回は、10月9日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。

お知らせ

ジャケット写真

へルター・スケルターは、ホワイト・アルバムのほか、76年の編集アルバム「ロックンロール・ミュージック」と80年米国で発売され た編集アルバム「ビートルズ・レアリティズ」に収録された。

「レアリティズ」はミキシングが異なるモノ・バージョンが採用され、ステレオ・バージョン(4分29秒)より短い3分36秒。ステレ オ・バージョンは曲の途中で一度フェイド・アウトし、またフェイド・インするが、モノにはこれがない。エンディングのリンゴの水ぶ くれに関する絶叫もない。

76年、米国で「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イン・トゥ・マイ・ライフ」とのカップリングでシングル発売され、チャートで3位にな った。

  • 1998年3月11日  EMIミュージック・ジャパン

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Profile

上林 格(かみばやし・さとる)

1962年生まれ。この年、ビートルズが「LOVE・ME・DO」で英国デビューした。1986年、朝日新聞社に入社。東京本社社会部、地域報道部、東京総局など勤務。東京版で「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」を連載した。

(更新日:2008年09月09日)

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