アメリカの良心をもって戦争の狂気を描いた「ディア・ハンター」が生まれたのは、ベトナム戦争が終結してから約5年後だった。そしてその翌年、「地獄の黙示録」が世に送り出された。不正な戦争がもたらした狂気と兵士たちの闇。当時、それがアメリカの「今」だった。そしてそこから一歩ずつ、ベトナム戦争という最悪の悲劇を見つめ始め、さらに5年以上たってやっと本格的にベトナム戦争を弾劾した「プラトーン」で、戦場で一体何が起きたのか、その真実を「あの出来事」として受け入れることができた。映画史はそうして時代と共に作られる。
イラク戦争の戦闘終結宣言をしてから約5年の「今」。いまだ撤退していない現状の中で、帰還兵が抱える心的外傷後ストレス障害(PTSD)をハリウッド映画として初めて扱った作品が生まれた。「ディア・ハンター」と同じようにイラク戦争の「今」を一歩踏み込んで描いた作品が本作だ。ベトナム戦争をきっかけに社会問題として取り上げられるようになったPTSD。昨年、イラクやアフガニスタンから帰還した兵士の約5人に1人がうつ病またはPTSDに苦しんでいると報告された。だが、不名誉なことだという気持ちやキャリアに傷が付くことを恐れて、その多くが病院には行っていないという。
本作は、そのような心理的背景を持つイラク帰還兵に起きた実際の殺人事件を下敷きに、元軍人警察官の父親が、息子を惨殺した犯人捜しに乗り出すというミステリー仕立てで展開する。陸軍基地のおひざもとの町、地元警察と軍警察の管轄争い、食い違う証言、そして息子が残した携帯の画像と途切れた音声……。網の目のように伏線が張り巡らされ、一時も油断ならない。その背景に兵士たちの闇が見え隠れする構図だ。
監督・脚本のポール・ハギスはハリウッドで今、最も注目されている監督・脚本家の一人だ。劇場長編映画の脚本家デビューとなった「ミリオンダラー・ベイビー」(04)でいきなりアカデミー脚色賞にノミネートされ、自ら脚本・製作を務めた監督第1作目の「クラッシュ」(05)は作品賞と脚本賞を受賞。ドラマ性の強い脚本と、現在の人種対立問題を浮き彫りにした「クラッシュ」のように、アメリカ人の肩にのしかかった漠然とした不安を描くことに定評がある。本作でも、ダイレクトに帰還兵を描くのではなく、その父親を主人公にし、外堀から埋めていくことで、帰還兵が抱える問題だけでなく、周りの家族の悲しみまで巧みにあぶりだしていく。根底に流れる激しい怒りと悲しみは、あからさまに見せることなく、空気を読ませ、感じさせるだけ。その手法は静かで奥ゆかしくもある。
たとえそれがどんなものであっても、知らないでは済まされない真実がある。この作品は父親の姿を通して、それと対峙(たいじ)する勇気を伝える。そしてこの知る痛みにじっと耐える父親を、トミー・リー・ジョーンズが静かに熱演。とにかく多くは語らない。説明もしない。だが、全身で悲しみと憤りを雄弁に語る。肌感覚で心を伝える名演だ。今までも「ハリソン・フォード 逃亡者」に「追跡者」、「ノーカントリー」とやたらと追いかける役が多いが、本作ではまた違う魅力を開拓している。
いつ観(み)ても変わらない作品もある。だが、これは「今」を共有するための「現在真実」を描いた作品だ。目の前に横たわっている悲しみ、それを「あとで」で観るか、「今」感じるかだ。今のタイミングで作られた作品。そのタイミングを逃しては、あまりにももったいない。
(Written by 柏木しょうこ)
(更新日:2008年06月04日)

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