真っ暗な画面が明るくなると、ぼやけた病室が見える。医師の声が聞こえ、看護師がのぞき込む。「彼」は必死に医師の言葉に答え、語りかけるが、その声が届く様子はない。
それは、死線をさまよった「彼」が覚醒(かくせい)した瞬間だった。映画では主観カメラなど珍しくもないが、この開巻の映像表現にはドキッとさせられた。
彼とはELLE誌の編集長ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)。知性とエスプリを備え、妻と子供と愛人がいて、洒落(しゃれ)た装いでスポーツカーを乗り回していた。しかし、人生を謳歌(おうか)していた42歳の時、脳梗塞(こうそく)に倒れ、ほぼすべての運動機能を失ってしまう。
冒頭の厳格な映像スタイルに観客の目が疲れてきたころ、カメラはボビーの世界が広がるのと合わせて様々なものを写し始める。彼は唯一動かせる左目のまばたきによってアルファベットを選び、気の遠くなるような作業の末に、自伝「潜水服は蝶(ちょう)の夢を見る」を書き上げた。
監督のジュリアン・シュナーベルは米国の前衛アーティスト。「バスキア」と「夜になるまえに」で、映画監督としても評価が高い。いずれもアート志向の強い作品だったが、今回はこれに感情が加わり、主人公の心が見える映画になった。
監督はボビーを外面から捉(とら)えようとはしない。カメラはボビーの目になり、彼の見るものを写し、心情を表現する。彼の目と一体化した観客は、彼とともに世界を見つめ、気持ちを知る。
状況はいかにも深刻だ。ボビーがまばたきで初めて語った言葉も「死にたい」だった。しかし、彼は生きることに前向きだった。やがて、潜水服を着たように不自由な体から想像と記憶によって抜けだし、蝶のように自由に飛びまわるようになる。
ボビーは美しい言語療法士たちに心躍らせ、妻を尻目に愛人への愛を語る。映画はそんな彼の個性を活(い)かし、明るく軽やかにその生を追う。シニカルでウイットに富んだ軽口が感傷を排し、ユーモアさえ醸し出す。
この映画は、生きることの喜びと希望を映して、すがすがしい後味を残す。
(稲垣都々世・映画評論家)
掲載:2008年02月08日朝日新聞夕刊紙面
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