この映画は原題を「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」と言い、コーマック・マッカーシーの同名の小説を脚色したものである。老人たちに住む土地はない、あるいは、ここは老人たちの住む土地ではない、とでも訳すのだろうか。
なぜそこに「老人たち」が出てくるかと言えば、語り手が老いた元保安官であるからだ。小説では、そして映画でも、老人のモノローグの合間に、彼が保安官の職を辞す直接の契機となった凄惨(せいさん)な事件が物語られていくことになる。
発端はメキシコとの国境地帯にあるテキサスの荒野だ。そこでハンティングをしていた男が、惨劇後の現場に遭遇してしまう。どうやらそれは麻薬取引のもつれから撃ち合いが始まり、双方ともに犠牲者を出してしまったあとらしい。放置された車には大量の麻薬が積まれ、死体の横には2百万ドルあまりの現金が残されている。男は一瞬ためらうが、現金が入ったバッグを手にするとそこを立ち去る。
しかし、それがその男モスにとっての悪夢の始まりとなるのだ。
モスはまだ息のあるメキシコ人にほんの少し仏心を出したことから金を盗んだことが露見してしまい、組織が雇った殺し屋に追われることになる。さらに、それを察知した老保安官も2人の後を追うことになる。
モーテルからモーテルへ。追われる者と追う者とが交錯するたびにおびただしい血が流されていく――。
この作品を脚色し、監督もしたコーエン兄弟は、原作を忠実に映画化しながら、結果として異なる印象のものに作り替えることになった。
原作の中には、追われる男モスの「致命的なやさしさ」と、老保安官の「癒(いや)されることのない敗北感」を描いた重要な挿話があるが、コーエン兄弟はそれを省略することで、ひたひたと迫る殺し屋をほとんど主役と思えるほど大きな存在にさせているのだ。
この殺し屋を演じているのが、「海を飛ぶ夢」で尊厳死を願う知的な男を好演していたハビエル・バルデムである。
オカッパ頭に大きな瞳。武器は高圧のガスボンベ。だが、バルデム演じる殺し屋が異彩を放っているのは容姿や武器だけではない。物語が進展していくにつれて、その殺し屋の存在がしだいに私たちの心に恐怖とともに大きく覆いかぶさってくるように感じられてくるのだ。
それは、たぶん、彼が「奇妙な原則」と「不意の暴力」を持っているからだと思われる。
殺すと決めた相手は必ず殺す。その原則を変えられるのは投げたコインの表か裏かを相手が当てたときでしかない。そして、その死は、相手がまったく予期していないタイミングでもたらされるのだ。それが、私たちに、あたかもその殺し屋が運命を司(つかさど)る神のような絶対性を持った存在のように思わせることになる。
追う者も追われる者も、互いにとめどない血を流す。だが、その血は乾き切った大地にただ虚(むな)しく吸い込まれていくだけだ。
すべてが終わって、この国境地帯は、原題にある「老人たち」だけでなく、あらゆる者にとって住むべき土地ではないのかもしれないという空漠たる思いが浮かんでくる。そして、それは、もしかしたら、この国境地帯だけのことではないのかもしれないという思いまでもが浮かんできて、しばらく言葉を失う。
掲載:2008年03月11日朝日新聞朝刊紙面
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