ある晴れた日、雲ひとつないのに、なぜか湖の真ん中に小さな白い霧があらわれる。霧は徐々に広がり、町を包みこむ。買い物に出かけた画家のデヴィッドとその息子は、不気味な霧から追われるようにスーパーマーケットに逃げ込む。スーパーに閉じ込められた人たちが不安におびえる中、やがて霧の中から不気味な触手が伸びてくる……。
スティーブン・キングの傑作中編小説『霧』を「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」のフランク・ダラボンが監督・脚本をつとめて映画化した「ミスト」は強烈きわまりないホラー映画である。霧の中の怪物はもちろん恐ろしい。血みどろの死に様はグロテスクで残酷だ。だが、使い古しの科白(せりふ)を借りれば、もっと恐ろしいのは人間の方である。
映画はほぼスーパーの店内という閉ざされた空間だけで展開する。脱出の試み。疑念と不安。パニックと暴力。デヴィッドら都会からやってきた新住民と旧住民たち、何かを隠しているかのような基地の軍人たち。微妙に立場が違う人々がスーパーの中で同居する。平和なときならなんでもなかったささいな違いが、危機のときにはことさらに拡大され、ついに悪意があふれでる。
閉ざされた空間に閉じこもった人々が反発しあいながら襲ってくる敵と戦うのは西部劇の昔から定番のお話である。脚本家出身だけに、ダラボンのキャラクター造形は的確だ。数多い登場人物が手際よく紹介され、抜き差しならぬ対立にいたるまでが必然として描かれるさまは見事である。とりわけ、最初は無害に見えたミセス・カーモディが、無害なクリスチャンから危険きわまりない煽動(せんどう)者に変貌(へんぼう)していくさまには戦慄(せんりつ)せずにいられない。
巧みなストーリーテリングに翻弄(ほんろう)されるうち、観客は予想もしていなかった場所へ連れて行かれることになるだろう。恐ろしい結末はどう考えてもハッピーエンドではないが、それは決して絶望でもない。どんな恐怖の果てにも希望を捨ててはいけない、とダラボンは伝えようとしているのだ。
(柳下毅一郎・映画評論家)
掲載:2008年05月09日朝日新聞夕刊紙面
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