近未来。世界では平和を実感させるためのショーとして、管理された戦闘が日常的に行われており、その戦闘機のパイロットには「キルドレ」と呼ばれる「大人にならない子供たち」が多く充てられている。「キルドレ」は、大人にならないだけでなく、殺されないかぎり死なないということにもなっているらしい……。
しかし、こうした物語の骨格が理解できるまで、私たちに強く印象されるのは、主人公であるパイロットのユーイチや上官となる女性司令のスイトたちが駐屯する基地の、空疎な広さと無人感である。実際、そこには何人かのパイロットと数人のメカニックと一匹の犬しかいないのだ。
そして私はといえば、ユーイチが基地に降り立つオープニングのシーンから、このような飛行場の風景をどこかで、いや何かで見たという既視感に襲われつづけていた。
押井守監督のアニメ版「スカイ・クロラ」は、森博嗣の原作をほぼ忠実に映像化していると言える。ただし、原作がユーイチの一人称によって叙述されていくのに対して、伊藤ちひろの脚本では三人称の視点によって展開されていくという語り口の差異がある。それもあって、アニメ版の「スカイ・クロラ」では、卓越した操縦技術を持つユーイチに対して、何重にも屈折した愛情を抱くスイトの比重が原作以上に大きくなっている。
ユーイチは単に「キルドレ」であるだけでなく、もう一つの宿命を背負っているらしい。そして、その宿命には、愛する人を自分の手で殺したことがあるというスイトが深く関(かか)わってもいるらしい。殺されたその人とユーイチがよく似た存在らしいということが明らかになるにつれて、物語はメビウスの輪のような構造になっているのかもしれないという気配を漂わせはじめる。
だが、やがて、その三人称の語り口が、たった一度だけ一人称にスイッチされるときが訪れる。
ユーイチたちの敵の中に、誰が立ち向かっても撃墜されてしまう無敵のパイロットがいる。
ある日、そのパイロットが操る敵機に向かって飛び立ったユーイチが、下界を眺めながらこう独白する。
「いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。それだけでは、いけないのか?」
私は、アニメの中では寡黙なユーイチがたった一度だけ内面を吐露するこの独白を耳にしたとき、戦慄(せんりつ)に近い大きな感情のうねりに見舞われた。それは、大人になれないユーイチが、つまり果てしなく戦いつづけることだけが役割の少年が、自分の「生」にようやく意味を見いだした瞬間の言葉として聞こえてきたからに違いなかった。
そのとき、私が抱きつづけていた、この飛行場のような場所をかつて見たことがあるという「既視感」の正体がわかったようにも思った。
そこは、私が子供のころによく見た「特攻隊物」とでも言うべき戦争映画に出てくる基地と酷似していたのだ。町と隔絶されただだっ広い飛行場に一本の滑走路があり、飛び立つ直前の若者たちが共同生活を送っている。そして、飛び立った瞬間に自分の生の意味、つまり死の意味を見いだすことになる……。
しかし、この「スカイ・クロラ」のユーイチと「特攻隊」の若者たちとのあいだには、その死が死として完結するかどうかという点において決定的な違いがある。
だからこそ、ただ一カ所、原作と大きく変えられた結末が、ユーイチの「それだけでは、いけないのか?」という独白と共鳴し合い、見る者の胸を締めつけることになるのだ。
掲載:2008年08月12日朝日新聞朝刊紙面
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