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この「アニマル・キングダム」をどんなジャンルの映画と呼べばいいかわからない。サスペンス映画? 一種の家族映画? 若者の成長物語?
わからないのはジャンルだけではない。最後まで、主人公がどのような人物で、その物語がどこに向かおうとしているのか、まったくわからないのだ。
◇
わからない、という奇妙な感覚は冒頭から生まれる。
若者がぐったりとした母親と部屋のソファーに座っている。にもかかわらず、目はテレビのクイズ番組の画面に向けたままだ。
駆け込んできた救急隊員が若者に訊(たず)ねる。
「何を摂取したんだ?」
すると、若者は無感動にぽつりと言う。
「ヘロイン」
隊員が救命措置を施しているあいだにも、しかし若者はふっとテレビに視線をやって見入ってしまう。
いったいこの若者はどんな性格なのだろう。母親に対する愛情が薄いのか。図体(ずうたい)は大きいがどこかに成長しきれていないところがあるのか。
わからないまま、母親は死に、身寄りのなくなった若者ジョシュアは、その母親が若いときに逃げ出してきたメルボルンの祖母のもとで暮らすことになる。
そこでは、異様な雰囲気の祖母が、母親の兄弟にあたる息子たちと、奇妙な「王国」を築いている。
その「王国」の四人の男たちは、銀行強盗や麻薬販売に手を染めるプロの犯罪集団であり、祖母は、彼らを過剰な愛情で搦(から)めとり、支配している「女王」でもある。
しかし、ジョシュアがそこに行ったとき、すでに一家は警察に追い詰められはじめているときでもあった。
仲間のひとりが警察の手で射殺され、その報復のために警察官を殺し返すと、さらに警察の包囲網はじりじりと狭められていく……。
◇
ジョシュアは少年と青年の境目にある若者だが、ほとんど感情を表すことがない。何を考えているのか、どう感じているのか、まったくわからない。通常の映画の主人公が持っている属性を少しも与えられていないと言っていい。
その彼は、死にゆく母親をただ眺めていたように、一家が破滅していく姿を、自らも巻き込まれつつ傍観する。
だが、ただひとりその街で親しくなった少女に異変が起きたとき、その異変がおじのひとりによって引き起こされたことを知ったとき、目から一筋の涙が流れ出る。
それが何を意味するのか、私たちにもまったく予測がつかないまま、物語は終幕へと突き進んでいく。
説明を排し、「王国」が徐々に崩壊していく様が乾いたタッチで描かれるが、最後の最後まで、物語がどこに向かおうとしているのかわからない。しかし、だからといって苛立(いらだ)たしく思えたり、退屈するということはない。一つ一つのシーンに、あたかも事実に支えられているかのようなリアリティーがあるからだ。
わからないまま最後まで行き、一発の銃声で終わる。その時、二時間にわたって溜(た)め込まれていた「わからない」という無方向感が、一挙に前の時間に向かって逆流し、物語を手繰り寄せる。これが第一作だという監督のデヴィッド・ミショッドの、その手際は鮮やかである。
◇
洒落(しゃれ)た台詞(せりふ)のやりとりがあるわけではない。奇を衒(てら)った暴力シーンがあるわけでもない。だが、この「アニマル・キングダム」は、久しぶりに現れた本物の「ハードボイルド」かもしれないとも思う。感傷を拒む「ハードボイルド」が、奥深いところにもう一つの感傷を秘めたものであるとするならば。
掲載:2012年01月11日朝日新聞朝刊紙面
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