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冷戦時代、スパイ映画にはリアリティーがあった。
当時、諜報部員(スパイ)は、情報を盗むためには文字通り体を張るしかなく、ハニートラップを仕掛けてくる女と騙(だま)し合い、潜入捜査をし、危険な場面では銃を持ち戦っていた。
スパイ映画を観ているまさにこの瞬間、ボンドのようなスパイが活躍しているかもしれない……。我々観客は大なり小なり、心の片隅でそう思っていた。
だからこそ007で活躍するボンドがかっこよくみえたし、彼が困難な任務をさらりと遂行する姿にカタルシスを覚えたのである。
しかも彼には「殺しのライセンス」があり、女に一方的に騙されないだけの色気とファッションセンスがあり、さらには体を張れるだけの肉体、ボンドカーを乗り回すだけの腕、国を背景にした金、突然の状況にも対応できる大人の男の余裕がある。
泥臭さは微塵もなく、難解なミッションもスタイリッシュかつエロティックにこなす。それがボンドの魅力であり、汗をかいて営業成績をあげても女子社員には虐(しいた)げられ、上司の不条理な業務命令に新橋の居酒屋で愚痴ることしかできなかった我々から見ると、まさに憧れの存在、ヒーローであったのだ。
しかし時代は変わり、今、花形スパイといえば、企業の機密情報を奪い取る産業スパイ。その手法も、おそらくコンピューターを駆使したハッキング、ウィルスを使ったサイバーテロなどが主流。そこに、色気、肉体、大人の余裕など、おそらく必要ない。
実際、本作でも武器開発係のQが久しぶりに登場し、敵からのサイバー攻撃に奔走するが(といっても、もちろんネットの仮想世界で奔走するのだが)、演じるベン・ウィショーはいわゆるパソコンオタクを象徴したような風貌である。伝統的なエージェント=ボンド、新しいエージェント=Qという構図を観て、我々は、「今の時代、ボンドのような男が、もしかしたら活躍しているかもしれない」、その「もしかしたら」という可能性でさえ、信じることができなくなってしまっていることに気付くのである。
ボンドのような存在はもう古いのか――。
我々はボンドのような男を憧れの存在として必要としているのか―。
「アメリカン・ビューティー」でオスカーの栄冠に輝いた名匠サム・メンデスは、007シリーズの存在意義と根幹を揺るがしかねない、この深遠なテーマに真っ向から対峙(たいじ)し、そして最新作「スカイフォール」へと昇華している。
劇中、ボンドの上司Mは、公聴委員会に呼ばれ、こう迫られる。
「サイバーテロが主流のこの時代、あなた方MI6は本当に必要なのですか?」
この問い掛けはそのまま今の時代がボンドを必要としているのか、我々が本当にボンドをヒーローとして必要としているのか、その問い掛けと重なっていく。
さらに本作では、ボンド自身でさえ、上司Mヘの疑念から、エージェントとしての自分の存在意義に疑問を持ち始める。
エージェントをただの手駒としか思っていないような非情な命令を下すM。反対に、どんなことがあってもボンドを支え続けるQ。ボンドとM、ボンドとQの信頼関係を対比させ、ボンドの中で湧き上がるMへの疑念=ボンドの闇をサム・メンデスは浮き彫りにしていく。
そして、そこに現れるのが、元エージェントでMに見捨てられたと語るシルヴァだ。シルヴァはボンドに悪魔のようにささやく。Mは信頼にたる人物なのか、お前は必要とされているのか、と……。
ボンドの影のようなシルヴァの存在が触媒となり、ボンドの心の闇はさらに膨張し、そして物語は佳境に向けて、単なるスパイアクションを越えた本作のテーマを描き出していくのである。
かつてボンドの諜報活動(アクション)に胸躍らされてきた「どらく」読者にとって、本作は「こんな007もあったのか」とシリーズの新たな可能性を感じることのできる、そして間違いなく楽しめる作品に仕上がっているといっていいだろう。

「007 スカイフォール」
2012年12月1日(土)よりTOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー
トルコ、イスタンブール。NATO秘密諜報部員の情報が入ったハードドライブを盗んだ敵を追うジェームズ・ボンドの姿があった。格闘の末、あと一歩で敵を捕らえたようとしていたボンドだったが、MI6(英国情報局秘密情報部)仲間であるイヴの誤射によって、転落してしまう。
007が死亡した。MI6に訃報がもたらされ、上司であるMはボンドの追悼文を書くのだが……。
監督:サム・メンデス
出演:ダニエル・クレイグ、ジュディ・デンチ、ハビエル・バルデム、レイフ・ファインズ、ナオミ・ハリス、ベレニス・マーロウ、アルバート・フィニー、ベン・ウィショー、ロリー・キナー、オラ・ラパス
脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ジョン・ローガン

(更新日:2012年11月27日)
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