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エンタメスペシャル

日本初上演 トニー賞5部門受賞 タイタニック the musical

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タイタニック予備知識 タイタニック号の神話

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  <大西洋はみがかれた鏡のようで――こんなになめらかな大西洋を見たことがなかったと、人びとはあとで言った>

ウォルター・ロード(Walter Lord)の記録文学の最高峰「タイタニック号の最期(A Night To Remember)」(1955年、ちくま文庫など)の書き出しはこんな感じで、悲劇の予兆を感じさせながら始まる。生存者らの証言でまとめられたドキュメンタリーは、巨大客船にいるような錯覚にとらわれられる神話の記録である。

悲劇が起きたのは1912年4月14日深夜。当時、世界最悪といわれた海難事故で、乗員行客2200人中、およそ1500人が犠牲となった。

「不沈船」タイタニック号

写真
TITANICタイタニックthe musicalのポスター

正式名称「R.M.S(Royal Mail Ship)Titanic」と呼ばれるタイタニック号は、英国のホワイトスターライン社が北大西洋航海用に建造した3隻の旅客船のうち、2番手の客船だった。総トン数4万6328トン、全長268.8メートル、全幅27.7メートル。煙突は4本、マストは2柱、石炭を燃やしてタービンを回し、3枚羽を持ったスクリューで最大23ノット(時速42.6キロ)で走った。起工は1909年3月、進水は1911年5月で、英国・リバプールが母港だ。

客室には大理石の洗面台や真鍮(しんちゅう)の電話機が備えられ、食堂では本物の銀のナイフやフォークが使われた。スピードよりも豪華さに重点をおいたタイタニック号だったが、安全面は当時の最新技術を駆使して考慮された。水面の上までの高さがある防水隔壁が船体を16区画に分け、このうち2区画(船首部で4区画)に浸水しても沈没しない構造になっていた。隔壁はブリッジから遠隔操作でき、すぐに開閉できる優れものだった。

なお、1年先に竣工した姉船「オリンピック号」は第一次世界大戦時には輸送船として徴用されるが、戦火をまぬかれ客船として復帰し、1935年まで現役をつとめた。一方、タイタニック号の事故を教訓に建造された妹船「ブリタニック号」は安全面が大幅に見直された。第一次世界大戦中に病院船として徴用され、商船としては一度も使われないまま沈没した。

氷山回避できずに衝突

1912年4月10日正午、英国・サウサンプトン港からタイタニック号は処女航海に出る。エドワード・ジョン・スミス船長(自ら船に残り、死亡)以下、乗員乗客およそ2200人を乗せていたという。途中、フランス・シェルブール、アイルランドのクイーンズタウンに寄港し、米国・ニューヨークに向かった。

航海5日目の4月14日23時40分、北大西洋のニューファンドランド沖に達したとき、見張り人のフレデリック・フリートが前方450メートル先に、海面から20メートルの高さの氷山を発見した。回避行動をとって左に舵(かじ)を切ったが、衝突までの時間はわずか40秒。悔やまれるのは事故の夜は無風だったことだ。風があれば、氷山にぶつかった波が白く見え、氷山の存在をもっと早く察知できたかもしれないからだ。

舵を切ると同時に、エンジンを逆回転し、減速したことが悲劇につながる。

氷山は船体の右舷をこすった。接触時間は10秒ほどで、長さ90メートル、幅10センチほどの傷を残しただけだった。しかし、この傷がきっかけで船首の5区画から浸水が始まり、タイタニック号は船首からゆっくりと沈没を始めたという。もし、中途半端な回避行動をとらずに、正面から衝突していれば浸水区画は少なくて済み、沈没をまぬかれた可能性もあったといわれている。

タイタニック号の工期が1カ月遅れ、出航が氷山の南下しやすい4月になったことも災いした。旧運輸省の調査では、3月ならば氷山が事故海域に存在する確立は34%だが、4月は43%に跳ね上がる。また、英国・サウサンプトン港から出航するとき、ほかの船と接触しそうになり、出航が1時間遅れたことも不運だった。氷山との衝突が1時間早ければ、事故海域の近くにいた船に救難信号が届いていたかもしれないのだ。

排水はうまくいかず、4月15日0時15分、救難信号を発信するが、一番近くの船には伝わらなかった。結局、およそ90キロ離れたところにいた客船・カルパチア号が救難信号を受信したが、現場に到着したのは沈没から4時間後だった。ちなみに、タイタニック号は新しい救難信号「SOS」を発信した始めての船になった。「SOS」警報は99年で廃止され、現在はデジタル技術などを駆使した「GMDSS」に切り替わっている。

沈没は2時20分。

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