2006年10月02日
シネフィル・イマジカ
ゴダールが、「誰よりもオリジナリティがある映画作家」と絶賛し、ウディ・アレンが、ロバート・アルトマンが、ラース・フォン・トリアーが、ジム・ジャームッシュがもっとも影響を受けたという北欧が生んだ世界的巨匠イングマール・ベルイマン。映画界を引退し、舞台演出に専念すると宣言していたベルイマンが、85歳にして、『ファニーとアレクサンデル』以来20年ぶりに映画に挑んだ。この北欧が生んだ世界的な名匠が、文字通り“最後の作品”として選んだのは、1974年に撮った『ある結婚の風景』の続編であった。その荒々しさ、その光、その噴出。どこにも源泉はなく、それはベルイマンそのものから湧き出る神の咆哮のようだ。 憎しみの終わり。終わりのない愛の始まり
かつて夫婦として生活をともにしたマリアン(リヴ・ウルマン)とヨハン(エルランド・ヨセフソン)は、離婚後30年ぶりに再会する。一方、ヨハンの近くで暮らす彼の息子のヘンリック(ボリエ・アールステット)とその娘カーリン(ユーリア・ダフヴェニウス)は、剥き出しの父娘愛のなかで愛憎をたぎらせ、痛みと苦しみの感情を〈サラバンド〉(バッハの《無伴奏チェロ組曲第5番》)にぶつけていく…。
『ある結婚の風景』の続編である本作は、男女の愛の深遠をテーマに引き継ぎ、絶望的な愛の欲求を極限のなかに描き出す。ふたりの人間がもつれるたびに深まり激化する、激情の噴出からなる音楽。しかしやがて彼らは、愛憎の砦を破り、魂の安息の場所へとたどり着くのだった…。
“神”という絶対的な存在は、自分と相手という人間のペアの愛憎の関りのなかでしか認識しえない。〈サラバンド〉というベルイマンの組曲は、その受難を、普遍のなかに描き出す。

『ある結婚の風景』は、弁護士のマリアン(リヴ・ウルマン)と教授のヨハン(エルランド・ヨセフソン)の、一見平穏で円満そのものにみえた夫婦関係に亀裂が生じ、崩壊するさまをリアルに描いた作品である。もともとは全6話からなる5時間を越えるテレビ・シリーズとして製作された。デンマークで放映された際には、主人公たちの運命を知ろうとして急いで帰宅する人たちの車の列が交通パニックを引き起こし、さらにストーリーに刺激されて離婚が急増するなど、社会現象にまでなったいわくつきのセンセーショナルな作品である。
テレビ版を再編集した168分の劇場版も、ゴールデン・グローブ賞外国映画賞、全米批評家協会賞作品賞、NY批評家協会賞女優賞(リヴ・ウルマン)などを受賞し、日本では’81年に公開された。そこには、主演女優たちとの華麗な遍歴から生まれたベルイマン自身の結婚生活が色濃く反映されている。この劇場版も、今や結婚生活の内実をリアルに浮き彫りにした古典として揺るぎない位置を占めており、最近では、フランス映画の鬼才フランソワ・オゾンが『ふたりの5つの別れ路』を撮る際に、この作品から深くインスパイアされたことを率直に表明しているほどだ。
『サラバンド』では、厖大な思い出の写真がうず高く積まれた机の前に座り、キャメラに向かって柔和な表情を浮かべたマリアンが、離婚後のふたりがどうなったか、そしてふいに啓示を受けたように、片田舎の別荘で隠遁生活をしているヨハンを訪ねる決意をしたことを淡々と語り始める。プロローグとエピローグに全10章を加えたこの作品は、リヴ・ウルマンのゆるやかな語り口で、観る者を一気に引き込んでいく。30数年ぶりに再会を果たしたふたりは、まるで恋人同士のように再会を祝福し合い、キスを交わし、抱擁し、ノスタルジックで親密な会話を重ねていく。別荘の近くには、ヨハンの息子ヘンリックが娘のカーリンと暮らしており、一見、美しい自然に囲まれた穏やかな環境で、幸福な余生を送る老人の日々がスケッチされていくかにみえる。
しかしベルイマンは、章を追うごとに仮借ない眼差しで、このヨハンとその家族が抱える〈精神の地獄図〉ともいうべき苦痛に満ちた、“叫びとささやき”が交錯する修羅場そのものを執拗に暴いていくのである。
「女たちの世界はわたしの世界だ」
かつて、イングマール・ベルイマンは「女たちの世界はわたしの世界だ」と語ったことがある。その言葉を立証するかのごとく、映画批評家時代のフランソワ・トリュフォーは「ベルイマンの映画は、まさしく、女性に捧げられた映画だ。ベルイマンの映画の女たちは、男の視点から一方的に見られた存在ではなく、ベルイマンと女たちの完璧な共謀となれあいのなかでとらえられたイメージなのである。男の人物たちが型にはまったキャラクターばかりなのに対して、女たちが無限のニュアンスに彩られていきいきとしているのも、そのためだ」と見事に分析している。
実際に、新人女優を育てる名人であったベルイマンは、ハリエット・アンデルソン(『不良少女モニカ』)、ビビ・アンデルソン(『第七の封印』)、イングリット・チューリン(『野いちご』)、リヴ・ウルマン(『仮面/ペルソナ』)などを発掘し、その魅力を開花させ、世界的な大女優へと育て上げていった。そのうちの何人かとは愛人関係となり、結婚し、離婚した後も親密なパートナーシップは永く続くことになる。『仮面/ペルソナ』で、突然、声を失った舞台女優の役でベルイマン作品に衝撃的にデビューしたリヴ・ウルマンは、知性と匂うような官能的な魅惑を両方併せ持った稀有なヒロインであり、それ以後、公私共にベルイマン映画の最も重要なミューズとなったのは周知の通りである。
この最新作でベルイマンが発見したのは、カーリン役のユーリア・ダフヴェニウスだが、まるで初期の傑作『不良少女モニカ』のハリエット・アンデルソンを思わせる溌溂としたエロティックな肢体は、登場しただけで画面に生々しい官能性が息づくかのようである。たとえば、マリアンとカーリンがワインを飲み、談笑しながら、夫や父親をこき下ろす場面には、女性同士の密やかで打ち解けた柔らかなトーンが画面に漂い、至福感に包み込まれるような魅惑が溢れている。
とくに、突然真っ赤な壁をバックに登場し、あるいは真っ赤な服を着て祖父に会いに行くカーリンは、全篇が真紅のイメージで統一されていたベルイマンの『叫びとささやき』で幽閉されていたハリエット・アンデルセンを否応なく想起させる。
一方でトリュフォーが指摘したごとく、ベルイマン作品に登場する男たちは自意識が強く、観念偏重型で融通がきかず、ユーモアのかけらもない、メランコリックな孤独に沈潜するタイプばかりである。この映画でも、ヨハンとヘンリックは双生児のように似ており、会えば、あたかも近親憎悪のように侮蔑の言葉を吐き、罵倒し合うのである。とくに、ヘンリックは妻のアンナが病死して以後、チェロの才能を持つ娘のカーリンを異様に溺愛し、音楽学院のオーディションに備え一緒に練習に励むのだが、その根底には畸形的な愛が仄見える。
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