「もうじき還暦を迎えることですか?自分が一番信じられないな」 鉄人・衣笠祥雄はそう言って愉快そうにほほ笑む。所属事務所なし。マネジャーも不在。鉄人は自宅を連絡先にして、ひとりで飄々(ひょうひょう)とどこにでも出掛けていく。ナチュラルな生き方こそが、鉄人の選んだスタイルだ。
(文・神山典士/写真・田中史彦)
一番楽しいのは、試合を見ながらスコアブックをつけている時ですね。この選手は昨日どんな練習をしたのか。先輩の素晴らしいプレーを見て何を考えているのか。この若い選手はどこまで伸びていくのか。そんなことを考えている時が一番楽しいです。
そう、見ることが大好きなんです。引退してからですよ、野球が見えるようになったのは。自分でできなかったプレーがどんどんわかるようになる。こうすれば上達への近道なんだなとか、あんなふうにしてしまうと遠回りなんだなとか。バッティングの究極は、投手に投げてもらった球を打つことでしかないんだということには、引退してから気づきましたから。
94年にイチローが登場してから、ずっと間近で見続けているわけですから幸せです。
自分が現役時代だったら、こんな感覚では見られなかったはずです。イチローや松井君を見ていると、やはり僕たちの現役時代とは野球のとらえ方とか感覚が違いますね。彼らは24時間野球漬けという感じがします。
いや残念ながら僕の場合は18時間野球漬けだったかな。その6時間の差が、僕とイチローや松井君の記録の差になっていると思います。
本当に残念です。僕自身も現役時代、試合中のけがは仕方ないと思って毎試合臨んでいましたが、致命的なけがをしなかったのは幸運でした。
現役生活23年間で歴代2位の161死球を受けましたが、頭部には一度も当たらなかった。それだけの数のデットボールを食らっていれば、一度くらい頭に当たっていても不思議ではありません。仮にそうなって病院送りになったら、試合に出られるかどうかは医師の判断になってしまいます。ところがそういう事態にならないで済んだ。僕の持っていた幸運であり、だからこそ当時の世界記録が達成できたのだと思います。

1947年、京都府生まれ。65年に平安高校から広島カープに入団。70年10月から始まった連続試合出場記録は、87年6月13日、当時ルー・ゲーリックが持っていた世界記録(2130試合)を塗り替え、同年10月に引退するまで続いた。この時達成した2215試合の記録は96年、カル・リプケンに抜かれるまで世界記録だった。この間、75年の赤ヘルブームの立役者となり、日本一にも輝く。盗塁王(76年)、打点王(84年)も獲得。87年、国民栄誉賞受賞。96年、野球殿堂入り。引退後は野球解説者、テレビのコメンテーターとしても活躍している。
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