自分ではすべてがご縁の結果だったと思っています。最初の歌手デビューの時も、「月山」を書いた作家の森敦さんとの出会いがあり、たまたま彼のアパートで酔って歌った歌を聞いた人が電話をくれて、「歌手になる気はありませんか?」と言ってきたんですから。ひょうたんから駒が出てきたようなものです。
そう、どんなに忙しくなっても会社は辞めなかった。そのお陰で、生き急ぐ必要がなかったということは言えると思います。
本当は新井という男は、家でぼーっと寝ころんでいたい性格の人間なんです。積極的に何かしたいとか、欲望のようなものはあまりないんです。
それは美しい誤解でしてね。本当に新井は同時に複数のプロジェクトを手がけることは決してしないんです。必ず一個に全力をかけている。常に頭はひとつのことで満員なんです。強いて言えば、新井にもし才能があるならば、それは一点集中の才能だと思います。
努力というとあんまり楽しそうじゃないでしょう。それに、どんなにじたばたしたって駄目な時は駄目だし。だから努力というよりも、慌てないで待つことですよ。暇を楽しむ。退屈をよしとする。人間、一番駄目なのは忙しがっている人です。自分を忙しくした原因は自分にあるんだし、心が滅びている証拠です。きざでもいいから、忙しい時にこそ一番暇そうな顔をするという美学というか生き方をしていたいですね。
昔から天の時、地の利、人の和と言うじゃないですか。これらがそろわないと駄目なんです。一人で突っ走ったって何にもならない。
その代わり、天からチャンスが降ってきた時によそ見をしていないようにしないといけないんです。その時が来たら、そんなに努力なんてしなくてもあっと言う間に企画は達成できるんだから。ニューヨークのダコタ・ハウスでオノ・ヨーコさんにあった時も、当初は30分というインタビュー時間が結局2時間近くになって、出版もすんなりOKがでました。それこそ天地人の条件がそろったんでしょう。
いや、執念というと何かにこだわるという印象が強いな。般若心経は、すべてのものは移り変わる、執着することが一番悪いことだと言っています。だから違う言葉を使いたいな。執念ではなくて何だろうな……。
あ、それを希望と言いましょうか。夢と言ってもいいかな。夢を持ち続けた結果が今なんだと。この方がきれいだな。夢を失わないで生きていれば、必ずそれはかなうと。あきらめないことですね。
先日、36年間勤めた電通を定年退職しました。今、暇にあかせて読んでいるのは「十牛図(じゅうぎゅうず)」です。ある日、自分の心が牛の形をして逃げ出した。それを捜し求める旅に出るという禅の物語です。難解ですが、実におもしろい。いつか自由訳ができたらいいなと、ぼんやり考えています。

今朝、妻とこの質問について話をしました。そうしたら妻が「それは私でしょう」と言っていました。妻とは新潟発上野行きの特急列車で偶然隣に乗り合わせたんです。大学2年の時で、私は大病してやつれていた時のことでした。でもしゃべっているうちに話がはずんで、それで在学中に婚約したんです。だから就職しないわけにはいかなかった。以来40年間一緒に乗り合わせているわけです。
やはり新潟の同郷人でもある良寛さんでしょうか。良寛さんが終(つい)の住処(すみか)にした五号庵に行ったことがありますか。ああいうところで冬を過ごすというのは、本当にすごいことです。「散る桜、残る桜も散る桜」という詩もあります。私の中のどこかに深い影響を与えてくれている人だと思います。
やはり「般若心経」でしょうか。日本人として生まれたら、多くの人がこのお経の意味を知りたいと思って死んでいく。それはそれでいいんですが、母親の葬儀の時に思いもかけない場所から「般若心経」が出てきて、改めて自分では未解決であったと反省したんです。本として出版できて、やっと宿題を果たせたという気持ちです。
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