今から約30年前、初コンサートの舞台でこうつぶやく歌手がいた。「こんなに疲れること、もう二度とやりません」
ところが、齢(よわい)62歳を迎える今秋、は4カ月間で40本を数えるデビュー35周年記念のコンサートツアーに出る。気が付くと、小椋さんは長命で長寿なアーティストになっていた。
(文・神山典士/撮影・三浦健司)
この前誰かが教えてくれたんですが、2千曲になったそうなんです。これまでに僕が創(つく)った歌が。
35年もやっていますから、年間に50から60曲創り続けるとちょうどそういう数字になるんですね。もっともそのすべてを覚えているわけではありません。時々、ラジオから流れてきても自分の曲と気付かないこともありますよ。
そんなこともありました。大学の終わりごろから歌創りは日常化していますから、僕の生活は、いつも歌創りとともにあるとも言えます。でも、歌創りの作業としては年間150時間程度です。大体1曲3時間あればできますから。
僕は中学2年のころから毎日、日記を付けていました。それが大学に入って、日記の中の詩的な2、3行にメロディーを付けて口ずさむようになったんです。その延長で大学の終わりごろには歌を創るようになったのです。社会人になってアメリカに留学するころまでは日記と曲創りが混在していました。
自分では全くそんな意識はありませんでした。だいたい銀行員が毎日、日記を付けているからといって、二足の草鞋とは言わないでしょう。当時は創り手という意識はあったけれど歌手という意識はなかったし、歌と銀行の仕事は同心円上にあると思っていました。「個職双善」という造語も考えて、仕事の場面でも自分らしく生きようと周囲にも言っていたんです。
浜松の店の支店長になった時には、銀行のためだけに存在するような人間にはなるな、毎日残業をするな、アフター5とか土日だけが自分なんだなんてうそぶかずに、銀行の中にいる時にも本当の自分を表現するんだと言い続けたんです。一度、早帰りの指示に従えない部下に、オレの言うことが聞けないのか!と怒鳴ったこともあります。あの時は女子行員から支店長も怒るのね、と驚かれましたね。
ええ、神田(小椋さんの本名)会なんていうのがいくつかあって、しょっちゅう集まっています。昔、僕はサラリーマン社会を冷静に見ていました。仮面が肉体化してしまうケースが多かったですね。本人はサラリーマンという仮面をかぶっているつもりが、いつの間にか仮面が脱げなくなっている。ま、今はもう、そういう人たちも多くは卒業してしまいましたが。

1944年東京・上野生まれ。東大4年在学時、寺山修司との交流から「初恋地獄編」に歌手として参加。大学卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)入行。71年、本人がアメリカ留学中に日本でファーストアルバム「青春 砂漠の少年」が発売される。75年、布施明が歌った「シクラメンのかほり」が大ヒット。この時も本人はアメリカ、ヨーロッパへ研修に出ていたため、謎めいた雰囲気を醸し出すことになる。76年、「NHK特集」に出演し、視聴率30%以上を記録。93年、第一勧業銀行退職。翌年、東大再入学。哲学科修士課程卒業。87年から新作オリジナルミュージカルを創り続け、「歌語り」というコンサートも展開している。
小椋佳さんのコンサートツアー「未熟の晩鐘」は、2006年9月2日(埼玉・川口総合文化センターLILIA)〜07年1月8日(東京・NHKホール)まで。詳しい公演スケジュールは下記公式ホームページでご確認ください。
小椋佳さん公式ホームページ
※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。