そうそう、最初はキャラがほしくてすれっからしの女みたいに演出してたり。それはペテンぽかったけれど、今じゃもう言い草も内容もすっかりフィットしちゃって、イメージも相当悪くなっちゃったじゃないですか。だからあとはもう冒険をやり続けるしかないって感じですよね。
今回監督をやった「無花果の顔」にしても、現場で迷ったことがないんです。頭よりも瞬発的に体が判断しているし。それに作品にしなきゃいけないっていう感覚も私にはなくて。たとえば奥田(瑛二)君や竹中(直人)君たちはちゃんと作品を創(つく)るでしょう。でも私は女だから、そこは無責任に無邪気に実験を重ねるほうを取る。それに、ここまでやってきた人間には失敗する権利だってある。勇気が活力だったから。でも映画が出来たらいい作品だって。
やりたいことをやっているのは間違いないでしょうね。それにたぶん私、60歳までに英語が完璧(かんぺき)になっていると思う。そうすればネイティブな役もできるようになるし、キャラ的にも全然大丈夫だと思うから、このままで。役者をやれていればきっと面白がって生きていると思う。
今はね、何よりも現場の人とちゃんとコミュニケーションが取れているのがうれしいんです。私は現場でも生活でもロスでも一人で動くから、周囲の人の世話にならずにいられない。いっぱい迷惑かけて生きて、寂しがってなついて、そして友達になってもらう。こういう恩は私も忘れないし、一生の友人が増えている。今下宿しているオーナーなんか、私の写真を持ち歩いていて、映画のキャスティングの人に会うたびに、この子どう? なんて言って歩いているらしくて。余計なんですけど。この間なんか昼メロのオーディションにまで行かされそうになっちゃって、それはやらないって断るのに大変だったんですから。

それは自分自身でしょう。私が動くとお金がかかる(笑い)。たとえばロスに仕事に行く時は、日本の事務所を留守にするのでその分のお金も必要だし、向こうでは法律家も雇わないといけないし、マネジャーも雇えばお金がかかる。この間インディーズの出演料100万円くらいの作品に出て、私は200万円くらい使っている。これは投資と言える。それでもやりたいから、桃井かおりを飼ってる感じ。
やっぱり死ぬという実感を与えてくれた松田優作ですね。死んだら存在がなくなるって教えてくれたから、生きることが活性化したんだと思う。俳優は伝説になりたいもんだから、ちぇ、先にやられたかと思っていたけれど、死んだら芝居はできない、歌も歌えない、女も抱けない、生きている間だけだよって。優作の死は悔しくて、だから、私は長生きしてやろうと今思っちゃってる。生きているからやれることはやってみたいと思ってる、私は。
山本周五郎の「日本婦道記」かな。若いころ読んだ時には、すごい美談だと思っていたんです。ところが大人になってから読んだら、すごくしたたかな女の話に思える。だからその時に見た真実が永遠の真実ではないって知っちゃった本ですね。私は桃色が嫌いと思っていたのに、今になってみるとピンクも結構好きになってたりして。だから時間によって正義は変わるのよね。
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