連日テレビの人気番組に出演し高視聴率を取っている笑福亭鶴瓶さんが、ここ数年古典落語に傾倒している。客数わずか80の小さな会場でも、時に「子別れ」や「らくだ」などの大ネタをかけて通をうならせる。大学を中退し、6代目松鶴に弟子入りしてから30年以上、関西・関東のお笑い界を常にリードしてきた男に、どんな心境の変化があったのだろうか。
(文・神山典士/撮影・三浦健司)
ここ数年古典をやり続けているのはすべて小朝さんの考えなんです。プロデューサーは落語界のイチローである小朝さんで、僕はプレーヤーなんです。
少し前に狂言がブームになった時に、落語界でも若手が出てこなあかんなとは思っていました。僕も関西の落語界の理事をやっていますから、ま、落語界の広報役はやらなあかんかなと。でも自分で古典ができないと説得力ないでしょう。そう思っていた時に、小朝さんが声をかけてくれた。東京の2千人の会場で「子別れ」をやりませんか、と。それがすべての始まりやったですね。
その時は大阪の連中も呼んでもらうということを条件にしました。そして研鑽(けんさん)会をつくったら、今度はうちの師匠が得意にしていた「鴻池(こうのいけ)」をリクエストされて。どんどん本格的にやらなあかんようになっていったんですわ。
最初に話をいただいた時は恐縮しました。僕でいいんですか?って。何せ僕は落語の世界ではかなり出遅れてますから。約30年、本格的な古典はやってこなかったんですから。でも昔から文珍さんと南光さんは「鶴瓶は簡単に落語に帰って来られる」としゃべってはったそうなんです。小朝さんも「あなたはできる。絶対にできる」と言ってくれはって。聞くところによると、亡くなったうちの師匠も「あいつは泳がせておけ」と言っていたそうなんです。だから小朝さんたちも皆、お前の30年間は絶対に無駄ではなかったし、僕らにはない違うことをする力がある、一緒に入ってもらったら僕らも刺激になると言ってくれたんです。
手前みそですけれど、ああいう舞台ができる人はまずいないという自信はあります。でも、そのステージの面白さは観(み)に来た人にしかわからないから、評価が上がりようがなかったんです。記録にも残してないし。

1951年、大阪市東住吉区(現・平野区)生まれ。京都産業大学を中退して72年、6代目笑福亭松鶴に入門。数カ月後にはラジオ、テレビでレギュラーを獲得して関西で人気者に。77年、最初の東京進出に挑むがテレビで下半身を露出して降板。その後関西でナマにこだわった企画を成功させる。86年、再度東京進出。「笑っていいとも」などで人気を博す。2004年から春風亭小朝プロデュースの「六人の会」のメンバーとなり、古典落語にも取り組む。現在持ちネタは30本余り。私落語では3本を主なネタにしている。現在テレビレギュラー5本、ラジオ2本。舞台では「鶴瓶噺」「笑福亭鶴瓶落語会」「劇場スジナシ」などを行っている。
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