熱しやすく冷めにくい性格。古い時計や生活骨董(こっとう)品など、モノ集めに没頭し始めた20歳の時と同じテンションでコレクションを続けている。自他ともに認める世界一のおもちゃコレクター・北原照久さんは、夢を実現する才にも長(た)けている。
(文・井上理江/写真・田中史彦)
そうです。よくお金があるからできたんだと言う人もいますが、決してそうではありません。20歳から集め続けたコレクションを展示する博物館を始めたいと思ったのが37歳。でも、僕の独立に家族は全員反対だったので援助は一切なし。それまで稼いだお金はすべてコレクションに費やしていたわけだから貯金もゼロ。開業資金は保険会社から借りたんです。実績もなく、あるのは情熱とガラクタと借金だけ。そこからのスタートでした。
自分はやればできる、夢は必ず実現すると信じていたので、それ以降も稼いだお金は惜しみなくコレクションに投資してきたし、リスクもいとわなかったですね。
成功体験があるからです。僕は小学校時代の成績はオール1、中学ではぐれて退学処分を受けるほどの落ちこぼれでね。誰からも評価されることはなかった。でも、そんな僕を母が「お前はたばこを吸わないのがいいところ」と言ってくれたことがある。そして、高校1年の時、テストで60点を取ったら、担任の先生が「お前、やればできるじゃないか!」とほめてくれた。母と恩師のその言葉で僕の人生は変わった。それからの高校3年間、がむしゃらに勉強し、卒業時には学年トップの成績となり、卒業生総代を務め、大学へも進学。この時の経験が、やればできるという自信の源になっているんです。
10代で「アメリカングラフィティ」を観(み)て、絶対に乗りたいと思ったアメ車サンダーバードを50歳で手に入れ、52歳の時には17歳からのあこがれの人だった加山雄三さんと会うことができた。あとは吉永小百合さんに会えたら、若いころの夢はすべて実現したことになります。
その時代のものを手にして、作り手や買った人たちのことを想像するのがとにかく好きなんです。とくに昔の日本のものは本当に精密にできていて美しい。パワーがあるというか、作り手のものに対する情熱がひしひしと伝わってくる。古いものだけが好きなわけではなく、作り手のこだわりやメッセージ性を感じる現代作家のものも集めています。要は自分の琴線に触れるものであれば何でも。だから値段が高いものばかりではないんですよ。事実、20世紀の消耗品が大半です。

1948年、東京都生まれ。青山学院大学在学中にスキー留学したヨーロッパで、ものを大切にする文化に触れ、古い時計や生活骨董、ポスターなどの収集を始める。その後、知り合いのデザイナーの家でインテリアとして飾られていたブリキのおもちゃと出合い、精力的に収集し、ブリキのおもちゃコレクターの第一人者として知られるようになった。86年4月、横浜山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館。現在、6カ所でコレクションを常設展示し、テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としてレギュラー出演、その他、CM、各地での講演会、トークショーなどで活躍。「ぼくらの昭和キラメキタイム」「笑話コレクション」(翔年社)、「昭和アンソロジー」(ネコ・パブリッシング)、「珠玉の日本語・辞世の句」(PHP研究所)など著書多数。
1890年代から1960年代にかけて主に日本で製造された玩具約3千点を常設展示。北原照久館長が収集したコレクションの一部が、古い洋館を改装した博物館に展示されている。
詳細はTOYS CLUBのホームページをご覧ください。
http://www.toysclub.co.jp/
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