当時はまだ自分のスタジオがなかったので、自宅マンションで曲を作っていました。嫁を隣にして、出来上がったばかりの詞に曲をつける。「こういうのどう?」と僕が聞いて、嫁が「あっ面白い」と答えてくれたら先に進む。「ピンと来ない」と言われたら作り直しです。彼女が最初の聴衆でした。
彼女も常に「今までにないな、こういう詞」と言われるものを期待されていましたから、きつかったと思います。でも彼女はこもって書くタイプだったので、僕は「向こうも頑張っているんだろうな」と漠然と想像していただけですが。
そもそも僕が学生時代に作曲を始めた時に、使った楽器がトランペットだったんです。だから曲を作ってもインストルメンタルの曲ばっかりでした。詞が欲しいなと思っていろいろな人に頼んで書いてもらっていたんですが、その中で彼女と出会った。彼女にしても作詞家になろうなんて思っていなかったはずですが、これが運命でしたね。僕の魂は、きっと前世から彼女とつながっていたと思います。
この前なんかふたりでドラえもんのテーマソングも作りました。みんなでスキンシップするのがいいねというのが嫁の提案で、「ハグしちゃおう」という詞が出来ました。その部分は沖縄音階にしました。ここ10年ほど沖縄は世界でも注目される音楽の拠点になっているでしょう。それを使いたかった。そういうことを考えると、死ぬまでに世界中の音楽を扱いきることは出来ないなという感じですね。

モノはあまり欲しがらない方ですが、ある美術展で見た瞬間に動けなくなってしまった作品がありました。たまたまその時に外車を買おうと思って持っていたお金があったので、それで買ってしまいました。アンディ・ウォーホルが描いたミック・ジャガーです。今も事務所に飾ってありますが、皆ポスターだとしか思っていないでしょう。
やっぱり高倉健さんです。30年くらい前に健さんのアルバムに曲を書いたのが最初の出会いでしたが、その後映画でも何度か共演させていただきました。高倉さんのさりげない心遣いはまねできません。たとえば「撮影でお世話になった北海道の人たちに、歌をプレゼントしたいからギター伴奏を頼む」と突然呼び出されたことがありました。数日間、ホテルにこもって僕と制作の方と高倉さんとで練習して、町民の音楽祭に飛び入り出演しました。
文学作品などはめったに読まないのですが、本棚には音楽関係よりも映画の本の方が多いです。「映画はやくざなり」というおもに任侠映画のことを書いた笠原和夫さんのルポが印象に残っています。子供のころから映画をたくさん観(み)ていたので、いつかアメリカのアカデミー賞の音楽賞を取りたいというとてつもない夢を持っています。
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