プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の調べに乗って、さわやかな青いコスチュームで舞う様は、まさしく「クールビューティー」。銀盤を彩った「誰も寝てはならぬ」の旋律は街中で流れ、大きく体をそらしながら滑る「イナバウアー」は今年の流行語大賞に選ばれた。今年2月のトリノ冬季五輪・フィギュアスケート女子で金メダルを獲得し、今年の「顔」となった荒川静香さん(24)。スケートにこだわり、引退後はプロとして挑み始めた新しい世界とは――。
「ひとインタビュー特別編」として、荒川さんの滑りに魅了されたひとり、小野高道・「どらく」編集長が、BS番組収録の合間をぬって聞いた。
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神奈川県出身。5歳でスケートを始める。小学3年で3回転ジャンプをマスターし、天才少女と呼ばれた。94年、95年、96年には全日本ジュニアフィギュア選手権で3連覇を果たす。97年、ジュニアからシニアへと移行してからも、日本選手権で初優勝を飾るなど、大きな存在感を示す。98年長野五輪へ出場。日本選手権2連覇。2003年、ユニバーシアード、冬季アジア大会で優勝。2004年3月ドルトムントで行われた世界選手権で3回転+3回転+2回転のコンビネーションジャンプを決め、技術点で満点の6.0をマークし金メダルを獲得。
2006年のトリノ五輪フィギュアスケート女子シングルにおいて、自己最高得点をマークし、アジア選手として初の金メダルを獲得した。同年5月にアマチュアからプロへの転向と競技選手としての引退を表明。現在はアイスショーなどに出演しながら、フィギュアスケートの解説、テレビ出演など、多忙な日々を送っている。
あまり、切り分けようとは思っていません。目の前に来たことを、精一杯こなしていく。それだけです。その中で、自分にどれだけの可能性が見つけられるか。それが今の、私の最大のやりがいです。
新しいことに挑戦するときは、未体験の緊張感があります。でもアイスショーはこれまでもやってきて、体が慣れている。気を使うことは特にありません。自分が最高のパフォーマンスができて、お客さまも楽しんでいただけるとうれしいです。
アマチュアの生活と競技に満足感があります。何年やったからという時間ではなく、自分の気持ちに沿った判断です。プロにも長くあこがれていました。アイスショーという目標がなければ、トリノ五輪まで目指さなかったかもしれません。ルールや制限にとらわれず、好きなスケートを滑れる場所へ行きたかった。
実は私、世界選手権で優勝した2004年に一度引退しそびれているんです。プロとして本当に一本立ちできる、という自信があれば、やめていたかもしれませんが、周りの方に続けることを勧められ、もう少しこのままやれるかも、という迷いもありました。結局、「自分はこうなりたい」という確固たる意思が当時はなかったのです。
私のスケート人生においては、五輪で頂点を極めたわけではありません。
でも、04年の世界選手権では、一度そういう心境になりました。自分で「最高の演技をした。ここが頂点」と思ってしまい、そこからもう一度、目標を更に見つけ出すのが難しかった。その後、1年間悩み、世界チャンピオンとして過ごすことができませんでした。
スケート技術で、まだ習得する余地があり、自分はまだ頂点に立ったわけではなかった、と気づきました。世間的、結果的には世界1位でも、自分ではやり残したことがないという状況ではなかった。それで「自分が満足いく演技をしたと納得できない限り、やめられない」と思い始め、気持ちが楽になりました。
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