もちろん。でなければ、ここにいないです。生きていれば、乗り越えなければならない試練はいっぱいあるし、家庭の中でも、いろんな問題が次々に浮上してくる。でも、そうやって辛酸なめて抗って、もがいて生きてこその人生なのではないのか、と。
たぶん、笑っているからだと思います。私は悲しいこと、嫌なことがあるときこそ、笑える。皮肉っぽい表現ですが、でも、それは闘っているからですよ。闘わずして生きるというのは、私にはあきらめに見える。それなりの年の取り方にしかならない気もします。
私にとっては逃げ場であり、自身を凛(りん)とさせてくれる場所であり。自分を気づかせてくれる、まさに魂萌えの場所って感じかな。俯瞰(ふかん)の位置に立たないと、案外、人は自分に気づけない。そういう意味で、客観的な位置に私を立たせてくれ、いろんな気づきをさせてくれるのが仕事ですね。
この仕事なら続けられる、初めてそう思えたのが女優だった。結果でしかないですね。ただ、デビュー作「寺内貫太郎一家2」が大きいかもしれません。このドラマを通して出会った人々の価値観に共鳴できたし、この人たちとなら一緒に仕事したいと思わせてくれたから。ただ、どんな仕事でも受けているわけではないのです。私の場合、脚本、演出、相手の役者、この三条件のうちひとつでも良いものがないとお断りしますね。嫌だなと思いながら受けてしまうと、ただつらいだけの仕事になってしまうし、責任も取れないですから。
仕事ってそうでしょう。「風吹ジュン」は商品なんです。世の中を説得する力があるか、商品として認められるかどうか。だからこそ、一つひとつ責任を持って携わっていかないといけない。
私という人間は一つのハードディスク。結婚して、子どもがいて離婚し、友だちがいて、映画や音楽が大好きで好奇心旺盛で。そういうハードの中に組み込まれるソフトの一つが女優「風吹ジュン」なんです。もともとのハード、すなわち私という人間がいろいろな経験や情報を抱え、たくましく強靭(きょうじん)だからこそ、女優というソフトの部分もまた鍛えられ、バージョンアップできる。年を積み重ねるってそういうことだとも思います。
そう。ある意味、女優というのは柔軟で、そして自身を開示していかないとできない仕事。ソフトの部分で作品を通してさまざまな経験を積み重ねていく。それが自分という人間の振り幅や許容範囲、視野を広げていってくれる面も大きいと思います。
やりたいことはいっぱいあります。以前から興味のあるお茶を調べに中国に行きたいし、子どもの写真の整理もしたいし、クラフトや習字もやってみたい。それと知識をもっと広げたい。知識はより人生を豊かにしてくれるものだから。ふだんからけっこうパソコンで検索したりしているんです。新しい情報を得るだけで人って結構ワクワクできるものですよ。

今、暮らしているマンション。自分自身にとっては負荷、荷物にしかならないものだったのですが、子どもたちには「帰る場所」が必要だと思って購入しました。
友人でもある編集者の都築響一さん。人が目を背けたくなるようなことでも好奇心の目で対峙(たいじ)し、それを表現しようとするエネルギーに満ちあふれている。貴重な存在の方だと思います。
人生に影響を与えているかどうかはわからないですが、20代からずっとそばにあるのは世阿弥の「花伝書」。ストーリーではなく、考え方、発想のバイブル的存在の一冊です。とくに開いたりするわけでもなく、時々背表紙のタイトルを見て、中に書かれていることを思い出す。でも、それでいいかなと思っています。あとは吉本隆明さんの「共同幻想論」。最近だと松浦弥太郎さんの随筆集「くちぶえサンドイッチ」。この本は若い人たちの感性やものへのこだわりが見えて楽しいですね。
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