世界のエジプト学をリードする吉村作治さん。大学教授としてメディアに登場することの多い吉村さんは、実はエジプト学の研究所を経営しながら研究活動を続ける事業者でもある。その本拠地は、母校・早稲田大学の近くにある株式会社アケト。その名は、古代エジプト語で「地平線」を意味している。
(文・神山典士/写真・田中史彦)
近代エジプト学という学問は、1798年のナポレオンのエジプト遠征から始まります。ですから世界的にはエジプト学はあったんですよ。ところが日本にはなかった。西洋古代史や西洋美術史の中にほんのわずかあった程度です。発掘調査をきちんと立案して実行し報告書を出すという、学問体系としてのエジプト学というのはありませんでした。
そうです。エジプト学を作ろうと志し、早大教授の故・川村喜一先生を隊長に調査に向かいました。一般人の海外渡航が自由化してまだ2年目。1人500ドル(約18万円)という外貨持ち出し制限もありました。学生が渡航する場合には、指導教官がついていかなければならないという規定もあったんです。それで本来はシュメール文明の専門家である川村先生にお願いして、エジプト調査に引きずり込むという苦肉の策を講じました。
1人500ドルでは長期の調査ができません。知り合いから横浜のバナナの輸入商を紹介してもらい、ドルを工面をしました。当時は大卒の初任給が1万3千円程度の時代です。けっこうな大金を持っていたわけです。今だから言える話ですけれど。
私が早稲田に入ったのが64年です。60年安保の時は高校生でした。若者だから当然、安保反対で活動しました。でもその時に、こんな反対闘争をしてもダメだと思っていました。歴史的に見ても、反対闘争が勝利したことはないんですから。だから将来政治家になって体制の内側から社会を直すか、全く闘争から離れて別のことに打ち込むか、自分の精神衛生上は2つしか選択肢がないだろうと思ったんです。そこで思い切り日和(ひよ)って、少年のころからの夢だったエジプト古代遺跡の発掘をやろうと考えたのです。
学問は一つの事業として経済的にも自立していなければならない、と当初から思っていました。川村先生が亡くなって、私が研究室を引き継ぐために、13年間にわたるエジプト生活から日本に帰ってきたのが1978年。その時日本にきちっとしたエジプト学を確立させるためには、今の大学のやり方ではダメだと思ったのです。事業であるためにはまず経営、組織、広報、そして学術調査という概念が必要だと。そして学術調査をやるからには資金がなくちゃいけない。資金の次には人材がなくちゃいけない。人材の次には広報活動によって、世間とのネットワークを作らなければいけない。この4つを自立させて事業としてやらなければいけないと考えました。
もちろん当時の早稲田の教授たちからは批判を受けました。学問は聖なるもの、聖域だと。世間と泥まみれになるような事業という概念を持ち込むのは反対だと。

1943年東京都生まれ。早稲田大学客員教授(工学博士)。66年、アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴いて以来、40年にわたり発掘調査を継続。数々の発見により国際的評価を得る。近年、世界に先駆け、人工衛星の画像解析などハイテクを導入した調査によってダハシュール北遺跡を発見。たくさんの貴重な遺物の他、2005年1月に「未盗掘・完全ミイラ」を発見するという快挙を成し遂げた。現在、そのミイラマスクを含む、40年間の発掘成果を日本全国で巡回展示中。また、株式会社立で完全インターネット講義による4年制大学「サイバー大学」を立ち上げ、初代学長に就任。07年4月開校する。近著に「ミイラ発見!!―私のエジプト発掘物語―」。著書多数。
吉村作治さんが学長を務める「サイバー大学」は、インターネットを活用した通信教育の4年制大学(株式会社立)。現在願書出願受付中。詳細はサイバー大学公式サイトで。
また吉村作治さんの公式サイト「吉村作治のえじぷとぴあ」には、インターネット上の会員組織「エジプト倶楽部」の情報や、エジプトツアー情報が満載です。
※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。