かつて「一億人の妹」をキャッチフレーズにアイドル歌手として一世を風靡(ふうび)。さらに、TVドラマ「コメットさん」で大ブレーク。当時の可憐(かれん)さ、愛くるしさは48歳になる今も健在だ。しかし、あどけない外見からは想像できないほど、内面に熱い役者魂を持つ人でもある。
芸能界入りして35年。昨年からブログも始めた。「最近になってようやく穏やかな風が人生に吹き始めている気がする」。大場久美子さんがそんなふうに感じるのは、ネットでのファンとの交流が大きいそうだ。
(取材・文/井上理江 写真/田中史彦)
友だちが劇団のオーディションに応募してくれたんです。それまでの私は、人前で話すのが苦手で学校へもあまり行かず、家にいることが多かったんです。でも、そのオーディションで初めてセリフを人前で言えて、それがうれしくてたまらなかった。その時決めたんです、女優になろうって。
子ども心に思ったことを、今なお貫いて続けていられるのは本当に幸せだと思います。
あまりに忙しくてあのころの記憶は正直ぶっ飛んでいて、覚えていません(笑い)。ただ、「コメットさん」には演技の基礎をしっかり学んでいないまま出演していたので、「ちゃんと勉強してからやりたい」という自分の思いといつも闘いながら演じ続けていたような気がします。
私の目標はあくまで女優になることだったから。私を育ててくれた音楽プロデューサーも「女優を目指すならメロディーをきれいに歌おうとしなくていいから、詩を思い浮かべなさい」とアドバイスしてくれたり。まわりが、私の気持ちを理解してくれていたのがありがたかったですね。
20代ですね。初舞台が京都弁による時代劇。正味4日間のけいこで1カ月公演。すべてが初体験のうえ練習時間も短かったので、緊張とプレッシャーで押しつぶされそうでした。でも、私には芝居しかない、芝居をとったら私の人生には何も残らない、という思いがあったのでその気持ちを支えに乗り切りました。
奥が深いんです。新人の時「真っ白な気持ちでやります」と言ったら、先輩に「何言ってるの? 自分で役の『色』を考えてくるのが役者でしょ」と言われたのですが、そのとおりなんです。ひと言で赤といっても、実にさまざまな赤色がある。その中から、自分だったらこの赤で演じるというのを考えなければならない。でも、「その赤はちょっと違う」と監督に言われたら次の赤を用意しておく必要もある。そういうところが難しいし、厳しい。でも、私はそこがおもしろい。「これぐらいでいいかな」という妥協が通用しない世界だから、終わりもない。そこにひかれるんだと思う。
自分にもっと磨きをかけたくて30代のころ、時間が空くと小劇団に混じって全国巡業していました。衣装も自分で手縫いし、小道具も自分で準備。移動も夜行バスなどを利用しました。
そう。自分を女優として磨くために、です。小さな劇団だと、演技に対してみんな厳しいことを容赦なく言ってくれるから勉強になるんです。しかも、そばに甘えられる人はいない。自己責任のもと、すべて自分一人で行動しなければならない。でも、それが私にとっては楽しくてたまらなかった。成長させてもらえた、貴重な経験でした。

1960年埼玉県出身。75年テレビの「決定版!あなたをスターに」で審査員特別賞を受け、芸能界へ入る。CMなどで話題となり、77年に東芝EMIから「あこがれ」で歌手デビューし、「一億人の妹」のキャッチフレーズで次々とレコードをリリース。ブロマイド売り上げ2年連続1位となり、一躍トップアイドルとなる。翌年、ドラマ「コメットさん」で女優デビュー、以後本格的な役者活動に入り、現在も映画・テレビ、舞台などで幅広く活躍中。
ブログでのファンの声をきっかけに、35周年記念ライブを開催することになりました。「足を運んでくださったお客さんがこよなく楽しんでくれる、そんなライブにしたくて、無茶します!」と大場さん。彼女の思いがいっぱいつまったライブになりそうです。
※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Firefox1.5以上、Macintosh Safari 1.3以上、Firefox1.5以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。