小学校へ入学して間もない頃だ。他の子は母親が迎えに来ていたが、自宅が学校裏と近く、商売をしていたこともあって、栄作少年は一人下校していた。途中、材木置き場とブロック塀にはさまれた路地を歩きながら、ふと空を見上げた。その時、なぜか「何だ、オレは」という思いが走った。「たぶん、あの瞬間から『今の自分』が始まっている気がします」。自身に問いかけながら走り続ける役者・吉田栄作さん。今春は舞台「オットーと呼ばれる日本人」に全力を注ぐ。
(取材・文/井上理江 写真/田中史彦)
70年前、社会が戦争に向かっている激動の時代に、尾崎は戦争回避と世界の平和を願いスパイ行為を始めてしまう。とにかく自分が正しいと思った道を孤独に突き進むわけです。そんな尾崎の姿と自分が重なって感じられる。それだけにこの作品に出会えたこと、尾崎役に選ばれたことはとてもうれしい。感謝しています。
尾崎という男がどんなふうに当時の社会と対峙(たいじ)していたか、どう自分自身と向き合っていたか。そこを知れば知るほど僕自身と同じだな、と。結局、「世の中は今こうだよ」とか「社会はこう動いている」といった大河は流れていても、そこには僕自身はいない、という感じというか。社会は社会であり、自分を動かしているのは自分の意志でしかない。僕自身、何でも自分で決めて歩んできた自負があるから、自分流に生きた尾崎にとても共感するのだと思う。
でも、戦後、戦犯裁判で処刑されてしまった人もいるわけで。言い方が悪いかもしれませんが、社会なんてしょせんそんなもの。だからこそ、自分を強く持っている人間こそが太く生きられるんじゃないかな。今の世の中はものすごく平和な時代なのに、一方で自分の生き方や意見を貫くことが案外難しかったりする。まさに尾崎の生きた時代と同じ。それだけにこの舞台が問い掛けるテーマって普遍的で今に通じるんですよね。そこをちゃんと伝えられたらと思っています。
あえて舞台を選んでいるわけではなく、たまたま自分がやる意味を感じる作品との出会いがあったので。ただ、初舞台となった「やわらかい服を着て」は僕にとって大きかった。これを機に舞台への出演依頼が増えましたから。
舞台でも映画、テレビドラマでも同じですが、自分の演じる役がどういう生き方をした人なのかを事前にじっくり調べます。職業があれば、本職の人に会って「どんな仕事なのか」「仕事へのこだわりは何か」から始まって、家族構成や「朝は何時に起きて何を食べるか」「好きなことは何か」といった細かな生活スタイルなども取材させてもらいます。そんなところからアプローチしていき、徐々にその物語に入っていく感じです。
リアルな人たちから勉強しておくと、その物語がたとえフィクションだったとしても、ごく自然に本物のように動ける。僕が実際には演じていないところまで、お客さんに「見える」と感じてもらえるっていうのかな。本質を見据えて演じているかどうかで芝居って全然違ってくる。しらじらしい、ヘンに小さくまとまった芝居はしたくないので、僕はじっくり時間をかけるわけです。
1995年から3年間、アメリカへ武者修業に出たのですが、そのときに身についたことというか、教わったことです。

1969年神奈川県生まれ。88年に「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」でグランプリを獲得し、映画「ガラスの中の少女」でスクリーンデビュー。以後、「君の瞳に恋してる」などテレビドラマに次々出演。代表作にTBS「クリスマス・イブ」、フジテレビ「もう誰も愛さない」など。一方、89年には歌手としてデビューし、「心の旅」「今を抱きしめて」などのヒット曲を放つ。しかし、95年に芸能活動を一時休業し、修業のために渡米。3年後に帰国し、99年NHK大河ドラマ「元禄繚乱」に出演。2003年のNHK大河ドラマ「武蔵」、TBS「ブラックジャックによろしく」の演技が評価され、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。映画「亡国のイージス」(05年)、「ミッドナイト・イーグル」(07年)でも好演。06年に新国立劇場公演「やわらかい服を着て」で初舞台・初主演を果たし、07年に音楽劇「三文オペラ」、そして今年は「オットーと呼ばれる日本人」に主演する。リアルな演技のできる俳優として評価を年々高めている。
戦後の日本を代表する劇作家・木下順二氏が、日本最大のスパイ事件「ゾルゲ事件」を取材し、1962年に発表した「オットーと呼ばれる日本人」。1930年から約10年、激動の上海と東京を舞台に国際スパイ団にかかわった、オットーこと尾崎秀実(ほつみ)の戦争回避と平和への願いが鮮烈に描かれています。この名作が新国立劇場の舞台に登場。そして、吉田栄作さんがこの尾崎を演じます。ナショナルかインターナショナルか、生か死か、家庭か世界か、数々の二律背反を乗り越え、自身の信念に基づき生き抜いた日本人尾崎に、吉田さんがどう挑むのか。今回は外国人俳優もキャステイングし、セリフの一部を英語訳、ドイツ語訳するという新たな上演形態にも挑戦。
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