2009年9月、在籍していた横浜ベイスターズから戦力外通告を受けた。いわゆる解雇である。普通なら相当ショックを受け、落ち込むところだが、工藤公康さんは違った。「まだまだやれる。必要とされる球団がある限りは続けたい」と前向きな意思を表明した。
そしてプロ29年目の今季、古巣・埼玉西武ライオンズへ16年ぶりに復帰。47歳となった工藤さんの、現役へのこだわりとさらなる夢、そして自身を支える家族への思いをうかがった。
(取材・文/井上理江 写真/田中史彦)
「あ、そうですか」と淡々と、サバサバした気持ちで受け止めました。「もうベイスターズで野球ができないんだ」とは思いましたが、引退は考えませんでした。トレーニングのかいもあって、09年は約22年ぶりに痛み止めの薬を服用しないで投げることもできたので、まだまだやれると思っていたし、日本でダメだったら海外でチャレンジすればいいや、という気持ちもあったので。
現役を続けるというのは自分で決めていたのですが、家族には「これからどうしたいのか」を具体的に説明できるようにしてから話したかったのと、どのタイミングで切り出せばいいのか分からなくて少し悩みました。結局、翌々日の夕方に話しました。
妻が「パパ、どうするの?」と聞くので「できるんだったら続けたい」と言ったら、「じゃあ、決まりね」と。これまでのフリーエージェント(FA)では、大騒ぎになって家族を巻き込み、迷惑をかけたのですが、今回はそういうことが一切なかったので、精神的にはとても楽でした。落ち込むこともなく、次はどこへ行くか前向きに考えようという感じでした。
声をかけてくれたのが古巣の西武ライオンズで、監督も盟友の渡辺久信監督ということもあり、迷いはなかったです。とはいえ、個人的な感情は一切抜きにして、監督には「好きなように使ってください」というのが正直な気持ちです。勝っている試合でも負けている試合でもいいし、「これ以上、点を取られないようにして終わりたいから投げてくれ」「あのピッチャーは明日のために休ませたいから代わりに」でもいい。監督に言われるまま、どんな役目でも喜んで引き受けるつもりです。
ただ、せっかく呼んでもらったのに、今ここ(2軍)にいるのはよくないですよね。体のコンディションを整えて早くチームの力になりたいです。

1963年愛知県生まれ。名古屋電気高校(現・愛知工業大学名電高校)3年の夏の甲子園大会でノーヒット・ノーランを記録。82年ドラフト6位で西武ライオンズに入団。エースとして西武ライオンズの黄金時代を支え、在籍13年間で8度の日本一を成し遂げる。94年FAとなり福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)へ移籍、99年チームを日本一へ導く。同年2度目のFAで読売ジャイアンツに移籍し、ここでも2度の日本一を経験。2007年横浜ベイスターズへ移籍後、2010年プロ生活29年目となるシーズンに、古巣である埼玉西武ライオンズへ復帰。現役最年長選手。通算224勝140敗(2010年4月現在)。日本シリーズMVP2回など多数の個人タイトルも獲得している。
著書に「現役力」(PHP新書)、「47番の投球論」(ベスト新書)、「探究力。―人間『工藤公康』からのメッセージ」(創英社/三省堂書店)、「限界を作らない生き方」(幻冬舎)など。
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